アンダーキャットの考察日記



現実

アートも音楽も映画もファッションも現実逃避のツールだが、創る側、表現者にしてみれば超現実の世界。現実的すぎるゆえに現実味に欠けたものを創ることができる。そもそも現実というものに客観性はない。みんなの現実が違うのに、あたかも現実がずっとそこにある様に思う矛盾。自分なくして現実なんてない、非現実もない。現実が先にあって自分があるわけではない。世界は自分自身。

そう思うと、夢も妄想も全て現実と呼べる。実際、私がそう思ったらそれが現実として認識される。それを分かっていると、他人がスタンダードだと勘違いしている現実に合わせるのは非常にバカバカしいのである。

学校が始まると思うと、気が引き締る気持ち(それじゃなくても締めろって話だが)。大学では実技だけではなく、文学、哲学、美術史、数学、物理。。勉強も盛りだくさん。これが実技以上に大変であり、また楽しい。学ぶことによって世界が広がるという言い回しがあるが、自分が広がるという方が正しい。変えられるのはいつも自分。世界ではないよ。二度書いちゃうけど、世界は自分自身。
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# by makaleo | 2011-08-23 14:36 | 考察

まどかちゃん



私の地元は桃の名産地。今が一番甘くて食べごろの時期。一体今年の桃はどうなっているのだろう。私の好きな"まどかちゃん"(桃の品種)は大丈夫なのだろうか?でも、まどかちゃんの放射能被害の心配をしているのではない。 彼女をとりまく周りの心配だ。今年は、まどかちゃんを危険物扱いする人たちもいるらしい。その経緯は理解できるけど。どれどれ、まどかちゃんに思いを馳せながら、ちょっと真面目なことを書こうかな。

さて、厳しい検査を通り抜けた桃が仮に放射線量が基準値以下だとしても、消費者は目に見えないからこそ"リスク"を恐れている。痛いこと、不幸なことなどなど、リスクできる限り排除したいと考えるのが人間の性。福島の桃がなくても他県の桃がある。わざわざ危ない橋を渡ることはしないと考えるのが自然だ。しかし、ここにきて思うのはリスク回避が生み出す新たなリスクの悪循環と矛盾。資本主義の自由市場で購買の判断を下すのは消費者だ。そして今、消費者たちが最終的には自分の首を絞めるであろう行動に出ていると、私は感じる。

「放射線リスクが怖いので福島産の桃は買わない」という、数ある選択肢の中から不幸の要素を排除することによって得る幸福を、誰にも責める権利はない。しかし、リバタリアニズム的な個人の自由(幸福)を尊重をする理念は、完全な自由が存在する場合にのみ有効だと思うのだが、私はそんな自由なんてこの社会に"存在しない"と断言する。政府の干渉やマスコミ意図の介入が当然の社会に、完全な自由市場はない。たったひとつの桃を買う選択に、どれだけの雑音がその選択を左右しているかは想像に易い。つまり、福島産の桃を買うか買わないで迷った時に、なぜ買わないのか、なぜ買うのか、自分でしっかり考えないと、結果としてあの変なおじさん集団(偉いらしい)や、音の出る箱の思惑にハマってしまうような気がしている。私はこっちのリスクの方が桃より断然恐ろしいと思うけど。ただ怖がるのもダメ。ただ怖がらないのもダメ。みんなそろそろ分かってきてると思うけど、実際どうなんだろぅか。

放射線の健康被害のリスク回避に伴う避難、福島県産農作物の買い控え、原発反対、政府と東電批判などに対して、もし自分に意見があるならさらに考えて欲しい。なぜ数ある選択肢の中からその選択を選んだのか。


癌のリスクが怖い?あら、あなたは怖くない?じゃあ、なぜ怖いか、怖くないかそこから考えてみることからだと思う。ただ人やマスコミにつられてむやみに恐れたり、ただ何となく開き直るのも自分で納得するまで考えるというのとは違うと思うから。極論、リスクなんてリスクって呼ぶからリスクなだけで、言い方を変えればただの思い込みともいえる。リスクには原因があって結果があるとほとんど人が思っているのかもしれなが、原因だって何かしらの結果であるわけだし、言ってみれば特定不可能な無限のループなのだ。原因と結果がはっきり区別できるように語られている世の中だが、それってナンセンスなのでは。科学は覆されるからこそ科学の進歩なんていうんだし、そこに真理はない。思い込みだけで生きるのは、あまりに骨の折れる世の中だと思うのだが、どうだろう。

よく分からないからこそ警戒したり、諦めたりするのだろうけど、それじゃいつまで経ってもそのまんま、といいたい。右か左か、下か上か、黒か白か、他人と意見が食い違ってもいいじゃない、ちゃんと自分が考えた上での選択だったら。それができないことで発生するリスクは、今起きていること以上に大きなリスクだと私は考えます。

最後に。。私は食べるよ、まどかちゃん 2011。
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# by makaleo | 2011-08-20 14:56 | 考察

秋の気配

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風が涼しくてニューヨークもすっかり秋の気配です。風の匂いで季節を感じる。いいですね。体調も崩しやすい季節の変わり目、気を引き締めていきましょう。(写真はホノルルの夜景です)
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# by makaleo | 2011-08-17 17:31 | 旅行

夏の終わり

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夏らしい一枚をアップしました。夏ももうすぐ終わりかー、ってことは、夏休みももうすぐ終了。。。いや、学校好きだよ、イヤじゃないよ。でも、構えちゃう。だって大学、、冗談抜きで大変なんです。。しかも来学期は大学一厳しくて恐ろしいという先生のクラスを取るので、心の準備が必要なんです。「才能ないからあきらめて自殺しろ」とか「このクズ」とか「くたばっちまえ」とか平気でいうらしいし、やる気のない絵をみせた日には目の前でビリビリに破り捨てるという噂。それでも彼がクビにならずに圧倒的人気なのは、きっとその行為が激しい愛情の裏返しだと、みんなわかっているからでしょう。。どんな授業になるのか楽しみだけど、いやー、構えるわ。。

人間が一番されて辛いこと、それは"無視"だそうです。まるで存在しないかのように扱われることほど悲しいことはないと思います。そういう意味では、彼は生徒の存在を激しく否定しますが、それは逆に肯定していることになるわけで、甘ったれた根性を奮い立たせてくれる手段と捉えることもできます。生徒に、厳密にいえば生徒の親に訴えられたことも数多くある彼ですが、そんなのおかまいなしなところには好感が持てます。ぶっ飛んでても、ぶれてなければ私は人間として好きになれると思います。

どーなることやら。。9月が楽しみだ。。。
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# by makaleo | 2011-08-15 16:26 | つぶやき

あなたは何キャラ?


ゆるキャラ、Mキャラ、天然キャラ…最近のキャラ多様化が起こす人間の定型化現象。無意識に、強制的に、自分を型に当てはめることにより起こる世界のアンバランス。
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# by makaleo | 2011-08-15 16:10 | 考察

SNSについて考える

夏休みも残すところあと1カ月未満。やはり余裕があるといろんなとこに書いちゃうね。とはいえ、同じようなことを言葉じりを変えて違うリーダー層(友人らか)に向けて書いてるだけだけど。

最近思うSNSの存在。。自分もいろんなとこにアカウント持ってるけど、やっぱ私は長文書くのが好きだからブログが一番ツールとしては合ってるかな。私の勝手な偏見で各SNSをカテゴライズ&分析してみたいと思います。

mixi:
日本語しかできないし、足跡確認(少し機能変わったけど)とかあって結構閉鎖的なイメージ。でも昔の友人とか同級生とか探しやすいし、知っている人で固めやすいから妙な安心感がある。私もここに書くときはけっこう大胆で強引(笑)。コミュニティーもいろいろあるけど、活発なものは一部なような。やはり顔を知っている人同士で固めたい人向けかな。ニュースも出てくるし、ここでけっこう日本の情報仕入れてます。あと、好きな芸能人情報なんかもね!最近facebook的機能が増えてきたけど、その辺はどうなのかなぁ〜。もうmixiだけという時代ではなさそう。

Twitter:
文字制限があるがゆえに、分かりやすいけど誤解もされやすいという両極な面があるね。そんなつもりでいったんじゃないのにっていうことも、フォロワーが勝手に解釈して拡散したりするでしょ?格言とか俳句とかそういうのが抽象的な文が得意な人向きか?ちなみに私はアカウント持ってるし、俳句格言好きだけど、最近は完全放置。なんかさ、あのフォローっていうのがなんか気にくわないんだよね。あなたについていきますみたいでよ(笑)。

facebook:
言語対応もコミュニケーション機能も満載で、いまや世界のSNS。私的にとってはmixiとツイッターの中間的な位置づけ。ブログ的なこともできるし、つぶやきもok。ただ、本名で基本顔出しのfacebookは日本人的にはあんまりウケないのかも?(出さなくてももちろんokですが)あと慣れないと機能が分かりにくいかな。しかし、なんといっても圧倒的な登録人数を誇るSNSなので、ビジネス的に最適なツールだと思います。世界を相手に出来るしね。実際、いろんな企業がマーケティングに活用してるし。私はここに英語と日本語ごっちゃで長文も書くしいろいろアップしてるけど、あんまり活用しきってない感がある。気軽に世界各国のいろんな人と"友達"になれるから、そういう意味では潜在力の高いSNSです。

my space:
アカウントもってない。これはもう時代遅れSNSだね。なんかインターフェイスはダサイし、全体的に汚いイメージ。イメージというのは怖いねぇ。


blog:
読みたい人が勝手に読めるし、編集できるから推敲もできるし、けっこう好き放題長文書いちゃってます。無料だからなのか、エロ広告がコメントに入ったりもするけどそれもまたよし。いろいろ考えてるなぁ〜と思って、必ず一読してから消します。仕事でブログ使う場合はきっと有料の方がいいだろうね。


頼まれてもいないのに、こんなことを分析している私は暇なのか?まぁ、そうともいう。この時間を他のことに費やせるけど、こうしてSNSについて書きたくなったから、まぁいいじゃないか(自分にいいきかせ)。んで結構いろいろアカウント持ってるなぁーと気づく。いっそ、いっこにまとめる?それめんどーね。つまり友達も移動させなくちゃいけないんでしょ?写真とか日記とかも。。やだ、それすごくめんどー、めんどー。このままキープで。。それぞれにパラパラ書いていきます。

ふと思ったんだけど、私が今日交通事故で死んでもfacebookの私は生き続けるの?

はい!早速調べてみたらfacebookには"アカウント墓碑化申請"っていうのがあるらしい。へぇ〜、デジタルの墓碑かぁ!新しい!前もってお願いしておきますが、私が死んだら誰か申請してねん。
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# by makaleo | 2011-08-11 17:23 | 考察

細胞は別人君


最近、私のブログにめっきり登場していないダンナ君ですが、変わらずチャリンコ命で元気です。ようやく私という扱いにくい生き物にもなれたようで、最近は言葉少なめに会話も、んーとか、あーとかで成り立ちます。

以前彼はよく「出会った頃とは違う。今の君は別人だ」などと、昔ドラマで聞いたような意味不明な台詞を放っていました。「人間変わらないと思っている君はおかしい。君は私ではなく、君が作り上げた私という妄想を愛しているだけなのだ」と私もドラマのヒロインばりに返してましたが、最近はそんなこともいわれなくなったので、諦められたのか彼も変わったのか、どちらにしろ私にはいいことです。

恋愛ねー、結婚ねー、夫婦ねー、子どもねー。人と人が関わりあうわけだから、それぞれいろんな形があるでしょう。だからなんだってわけじゃないですが、最近自分の細胞が昔とは全く別もの(実際に細胞は全て入れ替わってますが)ということに妙に納得がいきます。それで同一人物なのか別人なのか微妙なダンナ君(細胞レベルは別人)とまだ一緒にいるってことは、今の自分もその別人の彼を嫌いじゃないってことでしょうね。まー、ある意味不思議。

最近、大学の後輩(20代前半)に結婚について質問されたので、こんなこと綴ってみました。彼女は結婚して子どもも欲しいそう。なんで?と聞いてみたけどまだそこまで考えてないようでした。なぜか?を考え出しちゃったら、パンドラの箱から思いがけないものが永遠にゾロゾロ出てくる課題だからねー。でも私はそのゾロゾロがたまらない。パンドラの箱は空けてなんぼなんです。
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# by makaleo | 2011-08-11 16:38 | 考察

ワイハでどよーん

先々週、あるプロジェクトに携わりハワイのワイキキに行ってきました。

このご時世だからかワイキキと聞くと歯が浮く気持ちになりますが、まぁどこから?というくらいバブリーな観光客の方々でごった返しておりました。初日は観光客気分で楽しく過ごせたのですが、もう次の日からドヨーン…です。なんなんでしょう、ワイキキのノリといいますか人と雰囲気がこれでもかーーと、私を重くさせるのです。

もうこの際だからはっきりいいます。ワイキキの同じものに群がる日本人観光客と、物売り現地人のフェイク笑顔の不自然さにはかーなり、辟易しました。それから、日本人女性(観光客only)をターゲットにした変なワイキキのルーザー男たちにも。(仕事じゃなきゃ、行ってないよこのエリア。。ワイキキ好きな方、ごめんなさい)ご存知のように、ワイキキでは日本人観光客が とてもありがたがら れています。が、よくよくみていると、現地の物売りの笑顔には小 馬鹿にした態度が見え隠れしています。日本人客側も作り笑顔です が、お金にものをいわせてどこか現地人を小馬鹿にしています 。観光地という特性上、活発な経済流通はあるけど、それだけかと。。搾取する側とされる側に共通しているのは傲慢さとおごり。お互い利益回収できているのだからいいのかもしれないけど、うーん。。

今回私は何かの間違い?で飛行機はファーストクラス、ホテルはモアナというなぜかリッチな旅となったわけですが、価値のわからないというか、自分が価値を見いださないものがいかに無価値なのかとうことを改めて実感したわけです。ハワイはやっぱ自然とアロハだよ。海!山!風!そしてフェイクじゃない人々!


最終的に仕事を終えた後、美しいエメラルドグリーンの海を背にして山にこもってしまいました(熱帯雨林が大好物)。いろいろ考えるところはありましたが、なんだかんだいっても自然に囲まれて飲むビールは最高だとしみじみ思いました。こうやってアンバランスなものに敏感になるのも、いやになるほど浮彫りになる自分の好みも、いってみれば旅の醍醐味です。


もう、家帰る!という最終日に、不思議な光景を目にしました。ホテルの前で夫婦と思われるカップルが口論をしており、ダンナ様が奥様の手を強めに振り払い奥様がよろけて転んだ瞬間、セキュリティーらしきお兄さんがダンナ様を連れて行ってしまいました。「えっ連行?DVだと思われたのか!?」すぐそばにいたホテルのスタッフにどうしたの?と聞いたら、日本人カップルでこういうケース多いのよ、とのこと。最悪裁判沙汰にもなるそうです。。そう、アメリカは何でも裁判です。交通違反の信号無視なんかでもとりあえず裁判所にいかなければなりません。だとして仮に裁判沙汰になったら。。えーーー、旅行なのにとてつもなくめんどくせーーー。くれぐれも夫婦喧嘩は部屋の中で。。あ、部屋の中でも喧嘩して奥さんがうっかり転んで血出しちゃったらダメそう。。

その後あのカップルがどうなったのか、心配はしてませんが気になります。でも、あのくらいで連れていくのもどうかと思うけど、、、まぁ、アメリカですから。。

私のひねくれ推察ではこうなる:英語できないのをいいことに無理矢理裁判沙汰にして、日本人弁護士を雇いお金をぼったくる。。(観光客向けフリーペーパーに結構たくさん日本人弁護士の広告出てたが、こういう時のため?)滞在日数も増えるしお金がさらにいろんなとこに落ちる、落ちる。。あと、幼児虐待に思われる行動にも気をつけましょう。。しつけでも公の場で叩いてはダメです。


お金が廻る場所というのは、それなりにしくみがあるものです。やっぱ、自分の山に帰ろうっと。ニューヨークは都会だけど、コンクリートジャングルだから気配を消せるので自分に合っています。やっぱ、どこに住んでいようが、自分の好きなものしかない「家」が一番だなぁーー。
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# by makaleo | 2011-08-11 16:14 | 旅行

都合のよい解釈


今さらだけど、好きとか嫌いとか、美しいとか醜いとか、良いとか悪いとか、全ての解釈のモチベーションは自分の欲求。つまり自分に都合のよい解釈しか存在しないってこと。でも、それじゃみんな不安よね。だから、解釈を一つにまとめてくれる宗教とかグループとかが成り立つのよ。ま、今さらなんだけど。

震災の後いろんな解釈が飛び交ってるけど、その誰かの勝手な解釈をさらに解釈するのが自分。みんな自分の都合のいいように解釈していることに気づいてるのか?と時々心配になる。科学的根拠だって覆されるし、それだって解釈の賜物なんだし。それで無駄に傷つけ合ったり、気持ちすり減らしたりして。。なんだかなぁ。余計なお世話だけど、これが人々の都合のいい解釈に対する私の都合のいい解釈。
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# by makaleo | 2011-08-11 15:15 | 考察

夏です


現在、夏休みまっただ中。三十路で夏休みを経験できるのはわりと贅沢な気もする。で、真夏特有の倦怠感と、高揚感が入り交じるこの時期に、私は一体何をしているかというと…せっけんは暑くて固まりにくいので、この気温を利用して自家製天然酵母のパンを焼いたり、酵素ドリンクなるものを作って発酵過程を楽しんでいたりする。

それと、私によくしてくれている教授さんが、ドローイングと油絵のクラスに好きに来てもいいよと言ってくれたので、大学までぷらっとチャリンコででかけたり。

それ以外はわりと時間があるような気がする。そう、時間とはあるような気がすると、ますます暇な気分になったり、ないと思うとますます忙しい気になったりする。が、しかし、時間というものはそもそも実体のないただのコンセプトであるわけで、実際に時計をみなければ1時間が数時間に感じたりするのもありえる話。

だから、「時間がない、ある」というのは、みんな普通に使うけれど、実はすごく妙な言い回しだなぁーとしみじみ思ったり。都合がいいからと使用されていつ言葉も単位もよくよく考えれば意味不明というか、意味なんてない。だから、疑問を持つに越した事はない。

小学生時代のある日、無邪気に道で言葉を何回もリピートしてたら、突然その言葉の意味がわからなくなって、ただの音の組み合わせにしか感じられなくなった。例えば、ネコと何回も繰り返していたら、ネコはただの「 ne・ko(音)」 で、あのみんなが想像する猫は思い浮かばなくなったのだ。

「ネコってなぁに?」と聞いて「猫は猫だ!」といわれても、猫のイメージを共有していなければ、「 ne・ko(音)」 はあの「猫」にはならない。つまり、私はあの動物の存在を知っていたが、それがネコと呼ばれていることを一瞬忘れたというか、切り離して考えたのだと思う。でもそれを考えている間にも、いろんな言葉を頭の中で使ってネコについて考えていた。


「なぜne・ko(音)は猫なのだ?」


でもそれは言葉を使って言葉にはならないものを考えるという矛盾でもある。じゃあ、実際言葉なしに自分で思考することは可能なのだろうか?今のところ、ジカンガアルワタシは考えてみたが、難しいとは思うけど、不可能ではないのではない気もする。言葉があれば距離が離れていても意味を共有したり便利なことが多いが、自分が目で見て感じた感情なんかは、「悲しい、嬉しい」という言葉がなくても感じる。でも人はそういう感情を伝えたいし、共有したいし、理由を考えたいもの。私は幼い頃の記憶が言葉を覚える少し前からあるけれど、感情に加えモヤモヤ何かを思っていた気がする。その感情に意味を見いだし、思考するために私も言葉を覚えたのかもしれないけど、それで言葉に縛られたら本末転倒だね。正直、そんな人達が世の中に多い気がする今日この頃。

今後、時間ある?と聞かれたら、「時間というものはない」と答えちゃうかもなー。私、めんどくさい三十路だわ(笑)。
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# by makaleo | 2011-07-17 07:56 | つぶやき

フクシマ

故郷の状況を、震災以来ニュースやら友人・家族伝いに追ってきたつもりだが、ここにきて怒りの感情が爆発寸前。一体、日本という国はどこに向かうつもりなのか? いや、日本政府はどこに向かっているか理解する気もないと言った方が正しいか。ひとつひとつ文句をあげたらきりがないけれど、 日本のリーダーであるべき人間がリーダーになるべきではなかったという事実には落胆を隠せない。。結果、国民はこの不安な状況の中で明確な指示がないがために、不確かな個人レベルの意思決定に委ねられる事柄が多くなる。そしてますます不安は増幅する一方。。

混乱期の歴史の中でも人間は極度の不安に陥ると、すがる気持ちで何か信じられるものを求め、常時には考えられない行動をとることもある。それが、心配のひとつでもあるが、今はそれがよい方向に転じてくれればと願うことしかできない。

「大丈夫」とも「危険」とも断言できない状況が複雑に絡み合っている福島。私の恩師のブログを読んで、ますます切ない気持ちになった。。
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# by makaleo | 2011-06-28 13:06 | つぶやき

歯の治療で思う。


「この歯の詰め物はあと 1年くらい持つけど、今替えた方が歯が長持ちするよ」

先日訪れた歯医者で詰め物の入れ替えを勧められた。が、結構ですと断った。なんというか、あやふやな未来へのその方がよかろう的な話は、大抵断る。今やっておけば、といった考えがなんかいやしくて嫌いなのだ。その詰め物がダメになった時、その時改めて考えます、と歯医者を去った。

これで、もしその歯が虫歯になったりしたら、後で私は後悔するのだろうか?

いや、絶対しない。

後悔というのは、一瞬一瞬の意思決定ができていない輩が、過去という実体のないものを責める無意味な行為だから。そして、そういう人間は、また実体のない未来を心配してやまない。

もし、私の歯が虫歯になったら? その時は、それ相応の治療なり、何なりしましょ。私のプライオリティーは歯でもないし、自分の体でもないんで。
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# by makaleo | 2011-03-03 16:09 | つぶやき

人間嫌い


30年以上生きてきて、いまだにこの気がある。ある時期が来るとパタリと人との関係を断ちたくなる。そして出来る限り断つ。人間一人では生きて行けないと誰かはいう。社会生活を送る上でそれはもっとものように聞こえるが、しかし実際の生活の上ではどうなのだろう。友達がいないと、恋人がいないと、家族がいないと、生きて行けないのだろうか?いや、全然生きていける。逆にその関係性ゆえに、したくないことをする自分がいたり、不要な孤独感に襲われるような弱さが芽生えるのではないか。こんな私にも友達と呼べる人がいる。恩師と呼べる人も、家族と呼べる人もいる。が、私は本来一人でいるのが平気なたちだし、したくないことをしないですむ関係にある友人たちに恵まれているが、やはり人と関わる以上時々無理をしていることに気づく。そして自己嫌悪に陥る。

何もかもいやになるのにお腹は空く。油絵の筆の洗い忘れに気づいてはせかせか洗う。他人を小馬鹿にしながら自分の小ささに嫌気がさして自分に笑えさえする。はっきりいって自意識過剰なんだな。でもそんな自分を完全に嫌いになれない自分もいる。だからまだ生きてるわけで。

だけど、突然こんなつぶやきをするのはこの本を読んだからかもなぁ。

地下室の手記 by Dostoevsky
http://homepage3.nifty.com/coderachi/doct/ntug.html
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# by makaleo | 2011-02-03 17:36 | つぶやき

パスタ


最近パスタしか食っていない。

理由1:
グリーンマーケットで仕入れた野菜、特に真っ赤なトマトを使ったレシピが特に思い浮かばないから。新鮮なトマトで手の込んだこともしたくないし、やっぱり単純に面倒くさい。ニンニクの香りしっかりだして、庭のバジルかイタリアンパセリと和えちゃえば、シンプルだけどそれだけですごくウマい。

理由2:
日本の元彼にもらった"PASTA"というレシピ本を引っ越しの際にみつけたから。シンプルだけど技が利いてるイタリアンを作るための秘技が詳しく書いてあって興味深い。ほんの少しの違いで味が変わるっていうのは、当たり前のようでいて、新鮮な驚きでもあるので楽しい。「たったこれだけで(絶句)お〜!」みたいな。。。

理由3:
イタリア人の友人にアンチョビとオリーブをもらったから。これで、パスタの幅が広がった気がする。こいつらそのまま食べるとすごくしょっぱい。。


ふと気づいた。
どうでもいいな、、、この日記。。。ま、こんな他愛もないことをまとめてみたくなる時もあるょ。。。
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# by makaleo | 2010-08-31 17:44 |

引っ越し


私のプラン通り、理想的な場所に引っ越すことができた。今度の住まいは以前のアパートより広くて、学校にも近い。家探し&引っ越しめんどくせー。。。と思ってたけど、すんなり気に入った場所がみつかったのでよかった。ところで今回の引っ越しで再認識したことがある。それは私とダンナのパートナーシップのよさ。例えば、新居を探すまでの過程を振り返ってみると。。。

私:エリア&条件を提案→ダンナ:リサーチ→私:チェック&再提案→ダンナ:再リサーチ→私:最終的に絞る→ふたりで下見→ダンナ:迷う→私:決断→んで、アパート決定。

小さなくだらないことでケンカはするけど、何かを決める時はほとんどケンカにならない私たち。いつの間にか自然に役割が分かれているし、決断する人間がいると何かとまとまるのも早いというもの。アパート探しから荷解きまで私がなんか班長みたいだった。。。ダンナもダンナできちんといろんなアポとって動いて、副班長というか秘書みたいだった。。。ま、ふたりだけの班なんだけど。

全くアパートを探す条件には入ってなかったけど、今度の家にはおまけで屋上と裏庭がある。ここでハーブ育てたり、スケッチしたり、ご飯食べたり、お茶したり、縄跳びしたりする。ダンナは外より中がお好みなので、ここは完全に私のスペース。

ほんとダンナとは趣味も違えば、好みも、生活習慣も、性格も違う。でも何となくかみ合ってるところが、我ながら面白いような気もする。他人からみると、かみ合ってるようには全く見えないらしいけど(謎)。
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# by makaleo | 2010-08-31 17:21 | つぶやき

やめました。


最近かなりひとり言化している私のブログですが、一応読まれることを前提には書いています。でも時々これは書かない方がいいのか?いや書いてもいいだろう、とか迷うこともあって正直面倒なこともあります(笑)。人とかかわる日常生活にもこの思考作業はつきまとうので、自分がしっかりしていないと疲れてしまいます。若い頃は弱さゆえに相手に合わせて自分を変えるようなこともしてましたが、今ではもう誰と会っても同じ顔、同じ態度。

その同じ態度の一環として、数年前に握手をやめました。
初対面の人に"I don't shake hands." というと、ほとんどの人はちょっと驚いて構えます。笑顔も握手もアニマル的視点からみると相手が敵ではないことの確認、つまり「何かしたら、ただじゃすまないよ」というサインを前もって送っていると聞いたことがあります。つまり私は握手を拒否したことで、要注意人物になるという感じでしょうか。ここで相手は私に対していろいろな勝手な妄想を始めます。宗教上か?バイ菌が怖いのか?私が嫌いなのか?一体何なんだ?と、とにかく不安になるようです。そこから話が続く人は稀です。みんなササーッといなくなるか、ずっとこっちを警戒しながら当たり障りのない話しかしません。滅多にいませんが、話が深く続く人が時々いて、その人たちとは疎遠にならずに今だに友達です。

握手という安全フィルターを外してみえた人間の弱さ。たとえ握手しても相手から攻撃されることなんてたくさんあるのに、なんだか皮肉です。
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# by makaleo | 2010-07-12 18:57 | つぶやき


昔は全然飲めなかったのに、今では酔うことができるくらいには飲めるようになった。しかし昨日はちょっと飲み過ぎた。。。大学の友人宅で朝の7時過ぎまで討論会。議題は「時間の定義」について。このことについては今度ゆっくり書こうと思うけど、人とのコミュニーケションの難しさをまた改めて実感。私がなぜそう思うかではなく、私抜きでただ"そうである"ということを話そうとしていても、相手には「私が思っている」ことになってしまうことが多い。弁が立たなくてもいいから、真実を真実として伝えられなくてはいけないと思う。

最近ニューヨークは毎日30℃超えの猛暑。
明日は期末テストなのに、この暑さと二日酔いと寝不足で勉強に全く身が入らない。。。もうこんな時は寝るしかないか。。。
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# by makaleo | 2010-07-06 17:30 | つぶやき

夏だ


日本の桃が食べたい。切実に。
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# by makaleo | 2010-07-04 19:20 | つぶやき

あの目


今日湯船につかってエッセイのアイデアを考えていた時に、エッセイとは直接関係ないのだが突然わかったことがある。前々から不思議だったこと、それは「なぜ田舎が生理的に苦手なのか」。人間の手がつけられていない自然いっぱいの場所は大好きなのに、その地域に民家があって人の営みがみえた途端に怖くなるというか構えてしまうところがある。ニューヨークや東京みたいに人が多く建物が密集しており、最初から都会のニオイがする場所ではそうならないのに。

私は物心つくまで田舎で生まれてこのかた田舎しか知らなかった。世界が田舎で暮らす田舎の家族とご近所さんで構成され、幼いながらに息苦しい閉塞感を肌で感じていた。4歳くらいだっただろうか、「何かがおかしい、怖い、怖い、怖い。。。」と夜な夜な涙を流していた記憶がある。私の実家の周りは山で一周ぐるりと囲まれていて、一見世間から隔離された山里のような雰囲気だ。その一周をぐるりと歩くと、見ているのだ。誰かを誰かをみている。まるで監視しているかのように。。。

愛想よく挨拶されても、彼らの笑っていない目を私は見逃さなかった。そう、私はその目が怖かったんだ。

田舎には変な緊張感がある。誰がどこで見ていて聞いているかわからないといった緊張。子ども心にコレは怖かった。。しかし、この経験のせいで疑問を持ち考えることができたおかげで、年頃になった私は誰がどこで見てようが聞いてようがいいじゃないか!と開き直るに至った。しかし、たちまちこの里でターゲットになり、私の身代わりに親が干されてしまったような気がする。それで彼らは私に八つ当たりしたのだろう。納得。。。

誰がいったのか田舎には心温かい人が多いというけど、それは外からきたお客様に対してのみ。そこに住む住人には無意味に厳しい。攻撃できるところを見つけたら、容赦なく叩く、叩く、叩く。。。何となくその根性が現代のネット掲示板の住人に似てるかな。

そして彼らはそんな卑しい本性を暴かれるのを心から恐れている。試しに、本人の前で「佐藤さんが、木村さんの息子は頭が悪いから○○高校にしか行けなかったと言ってましたよ」と名指しにしてみると、もうあたふた。匿名性や集団性が消えた途端に、「冗談のつもりだ」とか「俺は言っていない、伊藤が言った」とか言い出す。何なんだ(怒)。

数年前、失業して実家に戻ってきていた青年が自殺した。何があったか詳しい事情は知らないが、いい年した男が稼がないのはこの田舎ではタブーだ。登校拒否の子も私の地域には多かった。。。お嫁さんが逃げた話や、精神的に障害をきたした人の話もよく聞いた。原因は多様だと思うけど、凝り固まった私の考えでは、ただ田舎を責めてしまっていた。


最近帰国した時にも、その「見ている~」をいまだ感じたが以前より和らいだような気もする。そしてちゃんと話せば、話を聞いてくれる人がいることにも気づいた。大人になってよかった。。。ほんとによかった。じゃなかったら、田舎が大嫌いで終わっていたかもしれない。考えることができて本当によかった。。。。相手にする人間を選ぶことができるということ、これ忘れてはいけないね。
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# by makaleo | 2010-07-04 18:44 | 考察

敵は友達


以前新聞記者の男性とこんな話をした覚えがある。

Mさん:「きみ、夜中の3時に電話できる友人いる?しかも内容は借金。」

私:「いますよ、数人。」


彼は続けた。

Mさん:「いや、信用ならないよ。女の友情は男のそれとは違う。女はたとえ電話に出てても言い訳並べて断るか、金を貸してくれたとしてもとんでもない恩着せるぜ。男が女に泣きつくとしたら話は別だろうけど。」

私:「私の友人、女以外にもいますょ。」


顔が浮かんだ数少ない私の「夜中の3時に電話できて、金貸してといえる友人」は、基本私に"求めていない"人たちだ。人に求めていないからこそ現実を脚色せずに受け止め、常に"正しい"対応ができる。上記の質問は、そんな夜中に電話できて金を貸してくれる友人がいるのは素晴らしい、という風に聞こえる。いや、それは違う。そんな簡単に金を貸してくれる友人は友人ではないのではないのか?本物の友人は敵であるべきなのである。私と彼らの関係は、お互いの中に敵を感じとることができ、そこを認め合い妥協せず闘い抜いたから、友情が結べたわけだ。そこには男女の境界は存在しない。彼らが私に金を貸すかどうかは知らん。私がそんな電話をする時には、あっちもよっぽど覚悟して聞くということは容易にわかる。

友情というのは真剣勝負だ。相手より優位に立とうとしたり、奴隷根性丸出しにしてみたり、傷口をなめ合うようなぬるま湯に浸かってるような関係は友情ではない。しかし、残念ながら世間一般の多くの女性は友情力に欠ける。だから真剣勝負そのものが難しい。その代わりに愛情に長けていて、愛するものに自分の全てを投げ出すことができてしまうし、嫌いなものには想像を超える酷い仕打ちを与える。これは長い歴史の中で培われた女性の性質だとも思うけど、克服しなければいけない。もちろん、男性でもこういう人はわんさかいる。

だから私は人との関係を築く手段として、意識的に愛情よりも友情を選んだ。しかし、本物の友情を結べる人間は本当に少ない。本気で闘える本物の敵が少ないのである。敵は多いに越したことはない!
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# by makaleo | 2010-06-28 16:38 | つぶやき

ウマかった

健康どうのこうのではなく、使いやすく食べて美味しいものにシンプルなものが多いのは事実。なのに、学校が始まってから忙しくて、せっけん作りもそうだけどスクラッチ(粉からとか…)から作る料理も断然減った。でも今日は久しぶりに手打ちパスタを作ってみた。新鮮なズッキーニとニンニクとトマトを軽く炒めてパスタに和え、塩こしょうとオリーブオイルで完成。ウマかった。

明日はまたテスト。

アートヒストリーはとにかく暗記!!まだまだ暗記力は落ちてないはずだ(と思いたい)。
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# by makaleo | 2010-06-28 15:41 |

コドモ

ここ数年「子どもは、もう?まだ?」的な質問をよく投げかけられる。多分、差し障りなく「ええ、まだなんですよ〜」って軽く答えればいいのかもしれないのだが、聞かれる度に考えすぎて、微妙な"間"ができてしまう。アメリカではセクハラ風味な質問だけど、それが理由で私は答えに困っているわけではない。単純にいえば、分かりすぎているゆえ、分からないのである。なぜあまり親しくもない人がそれを私に聞くのか、それがまずわからない。しかし、その質問の一般性や無邪気さは理解できる。

これを聞いてくる人の環境でも「子どもはまだ?」の意味合いは変わってくる。
先日のお呼ばれパーティーで会った、アメリカ人を含む初対面の女性陣に言われたことをまとめてみた。

1.主婦子どもあり:
「一人くらいは作った方がいいわよ」「子どもはエンジェル」「大変だけど人生変わるわよ」

2.独身シングル:
「私は将来最低ふたりは欲しいけどな」「子どもがいたら人生楽しそう」

3.独身彼氏持ち:
「素直にどもが好きだし、かわいいと思う」「好きな人と結婚したら自然にそう考えるのでは?」

4.既婚キャリア組:
「今は無理だけど、数年後には」「できなかったらアダプトするわ」「きっと子どもには癒されるわよ」


なるほど。
みなさん、少々一方通行であるけど、子どもにはポジティブな考え方が多数のよう。すると、この質問の本質は「子どもは素晴らしいものであるはずだから、なぜあなたは生もうとしないの?」というところだろうか。この質問には私は答えられない。実際何かを答えても彼女たちへの答えにはならないからだ。

人は質問をしているようで、自分が固く信じるものを押し付けている時が多い。そこでは理性的な話し合いは難しく、どうしても堂々巡りな会話になる。

結論:世の中のだいたいの女性は苦手だ。。。このパーティーではっきり自覚した(笑)。
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# by makaleo | 2010-06-18 17:59 | つぶやき

デジャブ


中間テストが終わって一段落。勉強したー!!って感じがする一週間だった。脳みそが脈打ってるの感じたもんね。私は本来勉強が嫌いではないみたい。今までずっと逆だと思ってたけど。いや待てよ、好きなことが明確に分かっていたから、それ以外には興味がないだけだったともいえるな。たとえ社会的に重要な情報でも人でも、興味がないことはすぐ忘れる私。"忘れた感覚"は実感として覚えてるんだけど、何を忘れたのかは覚えていない。どちらにしろ、その情報を覚えていないという結果は一緒だけど、無意識に忘れてるんじゃなくて、意識的に覚えないようにしているような気がする。
言い訳がましいけど(笑)。


昨日でテストが終わったので、今日は何もしない日と決めた。
だらだら昼まで寝て、土産にもらったイタリアのスパイスで
大盛りペペロンチーノ作って食べて
本読んで、ソファで昼寝。その後、近所のスタバで
読書&スケッチ&ボケっとを繰り返してた。

気づいたら閉店時間の午後11時。

ダンナからテキスト&電話が何回も来てたけど聞こえなかった。

帰ったら叱られた。でもなぜ叱られているのか理解できない私。


これデジャブ? と思った。


あー、子どもの頃と全く一緒の光景じゃん。
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# by makaleo | 2010-06-18 17:09 | つぶやき

中間テスト


今週は中間テストの週。今は、アートヒストリーと哲学のクラスを取っているのだけど、思ったより楽しい。んで、高校&専門時代はテストが嫌いだったのに、今は嫌いじゃない。それ以上にテストより勉強中が一番テンション上がって楽しい。だって、勉強させられてる感がないから。

うちは、何かにつけて「勉強しろ」という家庭だったから、思春期の私は反抗して勉強したくなくなった(単純)。だって「勉強しろ」っていわれても、勉強の意味が漠然としすぎていて、目的がみえなかった。それに勉強だけが人を賢明にするわけじゃないって知ってたから。知識はもちろん大事です。自分を知るための知識が。それ以外の知識は本当の意味での自分の役には立たない。

ソクラテスもこういってました:"世間一般に評価の高い人物は、確かに自分の得意な分野の知識や常識は心得ている。しかし、自身の無知に最も無知で愚かな人間だ"と。

その通りです。無知の知です。私自身、自分の無知にちょっと開き直ってるとこがあるけど、これではだめです。ソクラテスは、本物の賢者は無知に気づき克服し、人間に本当に大切だと思われる「真・善・美」や徳(aretê)を高めることが人間の生きる道だと言っていたようです。二千数百年も前のギリシャ人が気付いた真実。未だ人類ちゃんと理解できていないようだけど。

どれどれ、勉強はじめないと。
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# by makaleo | 2010-06-14 16:53 | つぶやき

人にみせる


まだ自分の描いた作品を公に露出したことがない。考えてみたけど、多分私にとって、今の時点で絵を人にみせるという行為が目的であるようでないから。もちろん大学でやった作品なんかは、人に見せるのが前提にあるようなモノだから、そういうものなのかもしれないけど。でもそれらをウェブサイトにアップしたりするのは「みせてどうする?」となってしまう。

作品を気に入ってもらえたりするのは嬉しいような、でも何か違うような。だから逆に気に入ってもらえなくても、別に何も思わない。いや、どちらかといえば逆に嫌ってほしいかも。こっちは未熟な技術で今できる精一杯の命を紙やキャンバスに必死でぶつけているだけなので、このあたりのレベルで気に入ってもらっては困る。これからもっともっと上達するのだから!

なので、嫌われるために作品アップしてみよっかな〜
というマゾ的アイデアが浮かんだ。

ま、そのうちね。
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# by makaleo | 2010-06-09 16:24 | アート

引っ越し


突然ですが、8月くらいに引っ越しすることにしました。というのもこの小さなアパートに私が収まりきれなくなったから。体が太ったわけじゃないけど、今のアパートは二人で住むには狭い。んで絵を描いたりするスペースもないし、私みたいな人間は心も狭くなるので、引っ越しを決めました。

ここクイーンズ・サニーサイドにはもう4年近く住んだかな。マンハッタンからも近いし、緑も多くてわりと好きだったんだけど、今度はマンハッタンで大学の近くに住むことにします。家賃は少々高いけれど、通学時間に使ってた時間を買うと思えば?まぁありかと。とにかく2年間集中して勉強やれそうじゃないですか!その後はまた緑の多い長閑なとこに引っ越したいと思ってますが。


うちの猫はこの部屋以外では凶暴化して大変なことになるのだけど、次のとこで大丈夫だろうか。。。それが今のところ心配の種です。
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# by makaleo | 2010-06-09 15:14 | つぶやき

FIT


夏の間にクレジットを稼ぐため、自分の大学ではなくFIT(Fashion Institute of Technology)という州立の大学でクラスを取っている。州立なので学費が安いのがメリット。

突然だけど、初日に気付いたSVA(私の大学)との違い:

1. ファッションに気を使っている子が多い→(ファッション科があるからだろう)
2. "やる気”というか活気がある→(夏だからか?)
3. 生徒さんがフレンドリー→(SVAは冷たい感じ)

FITはSVAと違って、少しキャンパスっぽい。敷地内にベンチがあったりして、生徒さんがワイワイ集ってる。プライベートスペースっていうの?憩いの場っていうの?そういうのって生徒に心理的に確実に作用すると思う。なんつーか、心にゆとりができるっていうかね。

SVAのビルは4つくらい西東にバラバラに点在。ギャラリーなんてハドソンリバー沿いまでいかないとだし、何だかとにかく離れすぎてて全然大学っぽくないのである。NYUもそんな感じだけど。マンハッタンで大学らしいのは、やっぱコロンビア大学かなぁ。芝生の上でボケッ〜っとできるのがいい。まぁ、みなさん勉強でボケッとばかりもしてられないだろうけども。

明日も学校。あさっても学校。宿題やんなきゃな。
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# by makaleo | 2010-06-08 17:01 | つぶやき

健康って?


最近、健康であるということに対しての興味が減った。だからといって病気になりたいわけでもないけど。

健康オタクが交通事故でぽっくり死ぬという皮肉なこともあるけれど、健康を目的にしても何の意味も私にはないことに気づいたから。

生きてれば、どうしても人間病気になる可能性がある。病気や怪我をしたら、痛いし苦しいのでなるべくなら避けて通りたいのが本心。私もそういう経験がある。人間の体は、自分の意思とは無関係に病気になるし、コントロール不可能といっていい。それでも現代では医療も発達してるし、人間の平均寿命は年々長くなってるのも事実。

昔から健康で長生きするのが人間の夢だったようだけど、それは死がもの凄く身近なものだったから。今の時代、健康はただの趣味です。こんなに死がリアルじゃない時代の健康はただの洗脳でしかないような。。なので私はこの趣味やめました(笑)。でも変なもの入ってない食べもんの方が美味しく感じるので自然に健康寄りな食生活だけど。

これで病気になっても仕方なし。明日交通事故で死ぬかもだしね。
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# by makaleo | 2010-06-07 15:12 | 健康ネタ

子どもの気づき


うちの親は「私」が生まれる前は、「私」の親ではなかった。

「私」を妊娠し生まれたという事実の後に"親という存在"になった。

しかし、この「私」を生むことを想定して親になったわけではない。


事実、親は私を意図して作っていない。まぁ、最初の仕事は父と母のものだけど、無意識にしている呼吸と一緒で、妊娠そのものも妊娠中の行程も、母体の意思とは無関係に赤ちゃんは育っていく。


私が「私」を認識するようになったのは、言葉をだんだん覚えるようになった頃だ。なぜなら名前を与えられていることに気づき、私は○○子なんだ、という認識ができたから。でも、じゃあ私はなぜ私なのか。私とは何なのか。無意識に動く内蔵や、脳が自分なのか?心と呼ばれるものが私なのか?じゃあ心とは何なのか?脳の反応が先か?感情が先か?疑問ばかりの幼少時代だった。



「あんたたち誰?」

多分、私は言葉がなければ心の中でそんな感じ(言葉がないから)に感じていたと思う。私が生まれたら当たり前のようにそこにいた彼ら。確かに私は彼らがセックスすることで出来たようだ。けれども、私が私であるこの"私"は決して誰から生まれたというわけでも創られたわけでもない。つまり、この"私"は誰からも生まれていないのだから、私の父も母も私の父でも母でもないわけである。屁理屈っぽく聞こえるかもしれないけど、これはとても論理的な結論。

このどうしようもない事実に気づいたのは、いつ頃だったかなぁ。呆然としたのを鮮明に覚えてる。他人同士が妙な方法でつながる、単なる縁としか言いようのないこの関係。他人同士なのだから、分かり合えなくて当然。それなのに、「私の子ども」という態度で子に接する親。この勘違いが怖い。私の子どもだから、これをするべき、して当たり前。子側でも、親がいうからこれをするべき、して当然と思ったりもする。いやいや、これは間違っている。この考えがそもそもの家族問題の根源だと思うのだけども。


この世の中、言葉によって混乱させられていることが本当に多い。親だから…子だから…という理由でお互いを傷つけ合ったり、舐め合っている関係が多すぎる。夫だから…妻だから…も然り。まずは、自分が何なのか考えろよと、いいたいわけです私は。
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# by makaleo | 2010-06-07 14:52 | 考察

夏休み


アメリカの大学生の夏休みは長い!4カ月ある!
でも私はサマークラスを取るので、実質は3カ月くらい。

4カ月も学校休みだと、大学生やってることすら忘れてしまいそうじゃないですか?と思うのですが、クラスメイトは旅行などそれなりに過ごし方を決めているようだ。私はもう日本に帰ったからそういう予定はナシなので、やはり絵の上達のために時間を使いたいと思う。

学校にいる間だけ、宿題の分だけがんばっても何の進歩にはならない。学校や先生に何を期待するというのか?自分自身の意思で、自由に生き生きと能力を発揮できるようになるようになる訓練をしなくてはいけないと思う。つじつまを合わせるために何かを引き算したりごまかしたりすると、惰性でやる気や発展性がなくなる。それでは駄目よね。決められた時間の中でも伸び伸び自由に能力を発揮したい。これができる人はそのための訓練をしっかりしてきた人だ。

長い夏休み、せいぜい楽しく苦しむか。。。
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# by makaleo | 2010-05-23 06:59 | つぶやき


ニューヨークに暮らすGデザイナー&美大生。日々の悶々とした考察について綴っています。※ブログの写真や記事の無断転載お断り
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