アンダーキャットの考察日記



カテゴリ:考察( 46 )


夢と現実


現実とは何か。夢とは何か。その境界線は実際存在しているように見えるが、ふと時々曖昧になる。

昨晩の夢がそうだった。人を殺める夢。その夢をみている最中、明らかに私は人を殺していた。つまるところ、夢ではなく現実として殺していたのである。つまり、実際に殺したのである。

夢で人を殺したのと、現実で殺したのとの違いは、"覚める"かどうかにあると思う。しかし、現実が存在していると思い込むことは、覚めることのない夢をみていると同じくらい恐ろしいことなのかもしれない。

現実とは何か。そこからだ。
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by makaleo | 2012-06-21 15:46 | 考察

おじさん世代


最近日本のニュースをみていて思うのだが、職種を問わず日本のおじさん世代が危うい気がしてならない。殺人、セクハラ、脅迫、、いい年したおじさんたちが犯す犯罪。犯罪に至らなくとも、未だ多くの男性の根底にある男尊女卑や自己中心的な思考回路が蔓延る社会。痛々しさを通り越して呆れと哀れみさえ感じる。

かっこいいおじさんも少なからず日本には存在するけど、救いようのない被害妄想的思考のダサいおじさんが断然多すぎる気がする。。このようなおじさん達を反面教師以外の何者にしてもいけない。若い世代が、結局そんなもん、と思うような社会ってどうよ。馴れ合いでまた同じようなこと繰り返すの?

おっさんたち、もう少しかっこつけろよ。。
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by makaleo | 2012-06-13 19:33 | 考察

「キスよりもせつなく」


先日トルストイの本を探すのに本棚を漁っていた際に、ふと目に留まった「キスよりもせつなく」という文庫本。思わずむず痒くなるタイトルである。。

唯川恵という作家の小説で彼女の名前は聞いたことが、買った覚えも読んだ覚えもない。そこで遠い記憶を辿ってみる。。かれこれ5年以上前に友達のKちゃんとその友人が我が家に泊まりに来た時、読み終えた本を置いていくと言っていたことをふと思い出した。きっとその中の本の一冊だろう。

これほどムズムズするタイトルなものだから、気になって仕方なくて思わずページをめくった。主人公は地方から出てきた劣等感丸出しのOL知可子。序章は社内恋愛中だった彼氏に振られ、知可子の仲のよい同僚が彼と付き合っていることに気づく。。という設定。恋愛小説に興味がない私には、いい意味で歯が浮くような言い回しの文章が恋愛してる感を表していて新鮮だった。なんだか今まで私が読んできた本とは別世界が広がっている。修飾語や例えがパステルカラーで統一されている雰囲気といえば少しは伝わるだろうか。落ち込んでいる様子も藤色のような感じで、どす黒くない。まだ数ページしか読んでいないけど、未開拓分野への興味というスタンスで少し読み進めてみようと思う。

雨が降ってきた。ちょっとロマンチックなことをいえば、こんな甘い恋愛小説を読むには雨の日が似合うような気がする(笑)。
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by makaleo | 2012-06-10 17:28 | 考察

卒業


今春大学無事卒業しました。無事というより意外にもオールAで卒業。勉強も楽しかったし絵をもくもくと描いてる時間は苦行に近かったけど至福の時でした。

でも、、、尾崎豊じゃないけど、「一体何から卒業するのか!卒業していったい何解るというのか!」と、尾崎が嫌った"大人"になった今でもそう叫びたくなる自分は、根っから根性は十代のままらしい。


学生に限らず今の世の中、自分たちがどこに行くのか、何を目指すのか。その作業と決断だけは誰にも委ねてはいけない。故郷の現状をみていても切実にそう思う。原発依存、政府依存、、。依存が生み出した虚構や欲望。そして一人一人が決断することを放棄した時にこそ、フクシマが忘れ去られる日がくるんじゃないかと思う。

何も終わっていない。
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by makaleo | 2012-05-04 15:36 | 考察

一年経過


あの日から一年が経過。


これから先、誰もが"考える"ことをやめたらダメになってしまう。。と、切実に思う。

今の世の中悩んでいる人が本当に多い。
しかし、悩むことと考えることは根本的に、絶対的に、違う。

分からないことや不安なことに対して悩むということがまずおかしい。そもそもわからないことをどうやったら悩めるのか。わからないからこそ、考えるべきである。


悩んでいるならば、その悩まれている"何か"に関して考えられなければいけない。つまり厳しいようだが、悩んでいる人は実際のところ考えていないのである。

悩みは悩みのままで形を変えず、不安を増殖させるだけでそのサイクルから抜け出すことはできない。考えるという作業は、"想像力"を要するので難しいけれど、自らが選んだ結論に責任が持つことができる。つまり、より強く、より自由になれる。


考えることは決して正解をみつける方法ではない。考えることとは、知るために疑い、情けや甘えを許さない、ある意味とても残酷な行為だ。

でも、もう起きてしまったことは仕方がない。

生きていく=考える  しかない。
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by makaleo | 2012-03-13 16:44 | 考察

現実

アートも音楽も映画もファッションも現実逃避のツールだが、創る側、表現者にしてみれば超現実の世界。現実的すぎるゆえに現実味に欠けたものを創ることができる。そもそも現実というものに客観性はない。みんなの現実が違うのに、あたかも現実がずっとそこにある様に思う矛盾。自分なくして現実なんてない、非現実もない。現実が先にあって自分があるわけではない。世界は自分自身。

そう思うと、夢も妄想も全て現実と呼べる。実際、私がそう思ったらそれが現実として認識される。それを分かっていると、他人がスタンダードだと勘違いしている現実に合わせるのは非常にバカバカしいのである。

学校が始まると思うと、気が引き締る気持ち(それじゃなくても締めろって話だが)。大学では実技だけではなく、文学、哲学、美術史、数学、物理。。勉強も盛りだくさん。これが実技以上に大変であり、また楽しい。学ぶことによって世界が広がるという言い回しがあるが、自分が広がるという方が正しい。変えられるのはいつも自分。世界ではないよ。二度書いちゃうけど、世界は自分自身。
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by makaleo | 2011-08-23 14:36 | 考察

まどかちゃん



私の地元は桃の名産地。今が一番甘くて食べごろの時期。一体今年の桃はどうなっているのだろう。私の好きな"まどかちゃん"(桃の品種)は大丈夫なのだろうか?でも、まどかちゃんの放射能被害の心配をしているのではない。 彼女をとりまく周りの心配だ。今年は、まどかちゃんを危険物扱いする人たちもいるらしい。その経緯は理解できるけど。どれどれ、まどかちゃんに思いを馳せながら、ちょっと真面目なことを書こうかな。

さて、厳しい検査を通り抜けた桃が仮に放射線量が基準値以下だとしても、消費者は目に見えないからこそ"リスク"を恐れている。痛いこと、不幸なことなどなど、リスクできる限り排除したいと考えるのが人間の性。福島の桃がなくても他県の桃がある。わざわざ危ない橋を渡ることはしないと考えるのが自然だ。しかし、ここにきて思うのはリスク回避が生み出す新たなリスクの悪循環と矛盾。資本主義の自由市場で購買の判断を下すのは消費者だ。そして今、消費者たちが最終的には自分の首を絞めるであろう行動に出ていると、私は感じる。

「放射線リスクが怖いので福島産の桃は買わない」という、数ある選択肢の中から不幸の要素を排除することによって得る幸福を、誰にも責める権利はない。しかし、リバタリアニズム的な個人の自由(幸福)を尊重をする理念は、完全な自由が存在する場合にのみ有効だと思うのだが、私はそんな自由なんてこの社会に"存在しない"と断言する。政府の干渉やマスコミ意図の介入が当然の社会に、完全な自由市場はない。たったひとつの桃を買う選択に、どれだけの雑音がその選択を左右しているかは想像に易い。つまり、福島産の桃を買うか買わないで迷った時に、なぜ買わないのか、なぜ買うのか、自分でしっかり考えないと、結果としてあの変なおじさん集団(偉いらしい)や、音の出る箱の思惑にハマってしまうような気がしている。私はこっちのリスクの方が桃より断然恐ろしいと思うけど。ただ怖がるのもダメ。ただ怖がらないのもダメ。みんなそろそろ分かってきてると思うけど、実際どうなんだろぅか。

放射線の健康被害のリスク回避に伴う避難、福島県産農作物の買い控え、原発反対、政府と東電批判などに対して、もし自分に意見があるならさらに考えて欲しい。なぜ数ある選択肢の中からその選択を選んだのか。


癌のリスクが怖い?あら、あなたは怖くない?じゃあ、なぜ怖いか、怖くないかそこから考えてみることからだと思う。ただ人やマスコミにつられてむやみに恐れたり、ただ何となく開き直るのも自分で納得するまで考えるというのとは違うと思うから。極論、リスクなんてリスクって呼ぶからリスクなだけで、言い方を変えればただの思い込みともいえる。リスクには原因があって結果があるとほとんど人が思っているのかもしれなが、原因だって何かしらの結果であるわけだし、言ってみれば特定不可能な無限のループなのだ。原因と結果がはっきり区別できるように語られている世の中だが、それってナンセンスなのでは。科学は覆されるからこそ科学の進歩なんていうんだし、そこに真理はない。思い込みだけで生きるのは、あまりに骨の折れる世の中だと思うのだが、どうだろう。

よく分からないからこそ警戒したり、諦めたりするのだろうけど、それじゃいつまで経ってもそのまんま、といいたい。右か左か、下か上か、黒か白か、他人と意見が食い違ってもいいじゃない、ちゃんと自分が考えた上での選択だったら。それができないことで発生するリスクは、今起きていること以上に大きなリスクだと私は考えます。

最後に。。私は食べるよ、まどかちゃん 2011。
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by makaleo | 2011-08-20 14:56 | 考察

あなたは何キャラ?


ゆるキャラ、Mキャラ、天然キャラ…最近のキャラ多様化が起こす人間の定型化現象。無意識に、強制的に、自分を型に当てはめることにより起こる世界のアンバランス。
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by makaleo | 2011-08-15 16:10 | 考察

SNSについて考える

夏休みも残すところあと1カ月未満。やはり余裕があるといろんなとこに書いちゃうね。とはいえ、同じようなことを言葉じりを変えて違うリーダー層(友人らか)に向けて書いてるだけだけど。

最近思うSNSの存在。。自分もいろんなとこにアカウント持ってるけど、やっぱ私は長文書くのが好きだからブログが一番ツールとしては合ってるかな。私の勝手な偏見で各SNSをカテゴライズ&分析してみたいと思います。

mixi:
日本語しかできないし、足跡確認(少し機能変わったけど)とかあって結構閉鎖的なイメージ。でも昔の友人とか同級生とか探しやすいし、知っている人で固めやすいから妙な安心感がある。私もここに書くときはけっこう大胆で強引(笑)。コミュニティーもいろいろあるけど、活発なものは一部なような。やはり顔を知っている人同士で固めたい人向けかな。ニュースも出てくるし、ここでけっこう日本の情報仕入れてます。あと、好きな芸能人情報なんかもね!最近facebook的機能が増えてきたけど、その辺はどうなのかなぁ〜。もうmixiだけという時代ではなさそう。

Twitter:
文字制限があるがゆえに、分かりやすいけど誤解もされやすいという両極な面があるね。そんなつもりでいったんじゃないのにっていうことも、フォロワーが勝手に解釈して拡散したりするでしょ?格言とか俳句とかそういうのが抽象的な文が得意な人向きか?ちなみに私はアカウント持ってるし、俳句格言好きだけど、最近は完全放置。なんかさ、あのフォローっていうのがなんか気にくわないんだよね。あなたについていきますみたいでよ(笑)。

facebook:
言語対応もコミュニケーション機能も満載で、いまや世界のSNS。私的にとってはmixiとツイッターの中間的な位置づけ。ブログ的なこともできるし、つぶやきもok。ただ、本名で基本顔出しのfacebookは日本人的にはあんまりウケないのかも?(出さなくてももちろんokですが)あと慣れないと機能が分かりにくいかな。しかし、なんといっても圧倒的な登録人数を誇るSNSなので、ビジネス的に最適なツールだと思います。世界を相手に出来るしね。実際、いろんな企業がマーケティングに活用してるし。私はここに英語と日本語ごっちゃで長文も書くしいろいろアップしてるけど、あんまり活用しきってない感がある。気軽に世界各国のいろんな人と"友達"になれるから、そういう意味では潜在力の高いSNSです。

my space:
アカウントもってない。これはもう時代遅れSNSだね。なんかインターフェイスはダサイし、全体的に汚いイメージ。イメージというのは怖いねぇ。


blog:
読みたい人が勝手に読めるし、編集できるから推敲もできるし、けっこう好き放題長文書いちゃってます。無料だからなのか、エロ広告がコメントに入ったりもするけどそれもまたよし。いろいろ考えてるなぁ〜と思って、必ず一読してから消します。仕事でブログ使う場合はきっと有料の方がいいだろうね。


頼まれてもいないのに、こんなことを分析している私は暇なのか?まぁ、そうともいう。この時間を他のことに費やせるけど、こうしてSNSについて書きたくなったから、まぁいいじゃないか(自分にいいきかせ)。んで結構いろいろアカウント持ってるなぁーと気づく。いっそ、いっこにまとめる?それめんどーね。つまり友達も移動させなくちゃいけないんでしょ?写真とか日記とかも。。やだ、それすごくめんどー、めんどー。このままキープで。。それぞれにパラパラ書いていきます。

ふと思ったんだけど、私が今日交通事故で死んでもfacebookの私は生き続けるの?

はい!早速調べてみたらfacebookには"アカウント墓碑化申請"っていうのがあるらしい。へぇ〜、デジタルの墓碑かぁ!新しい!前もってお願いしておきますが、私が死んだら誰か申請してねん。
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by makaleo | 2011-08-11 17:23 | 考察

細胞は別人君


最近、私のブログにめっきり登場していないダンナ君ですが、変わらずチャリンコ命で元気です。ようやく私という扱いにくい生き物にもなれたようで、最近は言葉少なめに会話も、んーとか、あーとかで成り立ちます。

以前彼はよく「出会った頃とは違う。今の君は別人だ」などと、昔ドラマで聞いたような意味不明な台詞を放っていました。「人間変わらないと思っている君はおかしい。君は私ではなく、君が作り上げた私という妄想を愛しているだけなのだ」と私もドラマのヒロインばりに返してましたが、最近はそんなこともいわれなくなったので、諦められたのか彼も変わったのか、どちらにしろ私にはいいことです。

恋愛ねー、結婚ねー、夫婦ねー、子どもねー。人と人が関わりあうわけだから、それぞれいろんな形があるでしょう。だからなんだってわけじゃないですが、最近自分の細胞が昔とは全く別もの(実際に細胞は全て入れ替わってますが)ということに妙に納得がいきます。それで同一人物なのか別人なのか微妙なダンナ君(細胞レベルは別人)とまだ一緒にいるってことは、今の自分もその別人の彼を嫌いじゃないってことでしょうね。まー、ある意味不思議。

最近、大学の後輩(20代前半)に結婚について質問されたので、こんなこと綴ってみました。彼女は結婚して子どもも欲しいそう。なんで?と聞いてみたけどまだそこまで考えてないようでした。なぜか?を考え出しちゃったら、パンドラの箱から思いがけないものが永遠にゾロゾロ出てくる課題だからねー。でも私はそのゾロゾロがたまらない。パンドラの箱は空けてなんぼなんです。
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by makaleo | 2011-08-11 16:38 | 考察


ニューヨークに暮らすGデザイナー&美大生。日々の悶々とした考察について綴っています。※ブログの写真や記事の無断転載お断り
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