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the Met

ここ最近自由な時間が増えたのでぶらぶらギャラリーや美術館巡りをしているが、改めてニューヨークは芸術に触れる機会に恵まれてるなぁと実感。美術館やギャラリーの数はもちろんのこと、美術鑑賞の敷居は決して高くなく、誰にでも広く開かれている。メトロポリタン美術館にはよく行くけれど入場料は任意制だし、MOMAやグッゲンハイムなど、多くの美術館が金土の決まった時間は入場料無料になる。まぁ、その陰には莫大な寄付をしているビリオネアレベルのアートパトロンさんの存在があるわけで、やはり遥か昔から芸術と権力者は切り離せない関係にあるもの。。そういう視点からみれば、芸術も権威主義的なものだと感じざるを得ないけどね。

と、、ちょっと、前置きが長くなったが、、今日はメトロポリタン美術館でギリシャ彫刻のスケッチをしてきた。金土は夜9時まで開いているので、空き始める5時過ぎくらいが狙いめの時間。で、何を描いてきたかというと、ミロのヴィーナスで思い浮かべるような、手足や顔の一部などが欠損している無表情な彫刻たち。ギリシャ美術史ではヘレニズム期の作品にあたる。

「どれ、スケッチでも〜」という時はいつもここに行き着く、落ち着く。ヨーロッパ彫刻セクションの五体満足で整った彫刻よりも、こちらの方が私にとっては圧倒的に魅力的。人間じゃないけど、ものすごく人間臭いのはなぜか。。創られたのが紀元前○百年というのも、今更ながら感服。2000年以上前の代物といわれてもいまいちピンとこないけど、偉容を誇る存在感ははんぱない。描いていても、圧倒されっぱなしで掴みきれない。で、いつも気負けしてスケッチ終了のパターン。。「また来るよ…」と、巨匠の絵を観に二階に移動するのが通常コース。。

今回の特設展のひとつは"Albrecht Dürer(アルブレヒト・デューラー)"とその時代のアーティストたちの素描だった。いつもデューラーの絵を観るたび、その観察力と描写力に感動する。真摯に対象を観察し理解して描いたというのが伝わってくる線。私も絵を真面目に?描くようになってからは、観ることに集中力を注いでいるが、まだまだ、まだまだまだまだまだまだ、だ。。

今日はいつも以上に圧倒されたメトロポリタン美術館での一日。。しかし、これはよい兆候だと解釈できるのではないか。ね。。

http://www.metmuseum.org/exhibitions/listings/2012/durer-and-beyond

# by makaleo | 2012-05-19 16:44 | アート | Comments(0)

卒業

今春大学無事卒業しました。無事というより意外にもオールAで卒業。勉強も楽しかったし、絵をもくもくと描いてる時間は至福の時でした。

でも、、、尾崎豊じゃないけど、「一体何から卒業するのか!卒業していったい何解るというのか!」と、尾崎が嫌った"大人"になった今でもそう叫びたくなる自分は、根っから根性は十代のままらしい。


学生に限らず今の世の中、自分たちがどこに行くのか、何を目指すのか。その作業と決断だけは誰にも委ねてはいけない。故郷の現状をみていても切実にそう思う。原発依存、政府依存、、。依存が生み出した虚構や欲望。そして一人一人が決断することを放棄した時にこそ、フクシマが忘れ去られる日がくるんじゃないかと思う。

何も終わっていない。

# by makaleo | 2012-05-04 15:36 | 考察 | Comments(0)

春がきた。

時々、いや結構頻繁かな。無性に独ーりになりたくなる。別にいやなことがあったとか、疲れたとかそういうネガティブなものからくる気持ちではない。まぁ、独りになるのが難しい位置に自らを置きながら、まったくもって無い物ねだりの感情であるということは百も承知。それでもその時そう思うのだからいたしかたない。

0か100か。

そういう感情の一本道を行ったり来たりして生きてきた自分だから、もう慣れっこ。

ここ最近は感情が薄い傾向の自分がいたので、こういうビビットでシャープな感情は新鮮で気持ちがいいものでもある。シャキッとするな、こういう意思表示が出て来ると。なんか芽が出た感覚。

春だからか?


# by makaleo | 2012-03-13 17:20 | つぶやき | Comments(0)

The Armory Show

週末、NY最大規模の現代アート展The Armory Showに行ってきた。
http://www.thearmoryshow.com

各国から250以上にギャラリーが集結。会場広すぎて歩くので疲れた。日本のギャラリーもいくつか出展していて、その中で偶然友人の作品を発見。赤丸(お買い上げ印)ついてた。

コンテンポラリー作品群の全体的な印象としては、実験段階的な作品が多く出ていたということ。連れが「完成度が低い」ってつぶやいていたけど、「一体完成ってなんだだろう?」と考える機会を与えてくれた。何よ、完成って?

私も先生に「これ完成じゃないよね?終わってないよね?」と聞かれることがあるけど、例の "I don't know" がでる。誰が決めるのよ、完成って?ピカソの絵だってほとんど完成してないって本人はいっいてたらしい。でも私たちはそれらを完成形としてみている。

家を建てていて、屋根がなくて雨漏りするなら未完成といえるけど、この場合"家"というコンセプトと用途が先立っているのでそういえなくもないが、、、アートはどうだ?

外野から絵が完成形にみえない、っていうのは少し違和感がある。まぁ、掘り下げれば面白い議論ができるネタではあるが、ね。


# by makaleo | 2012-03-13 17:19 | アート | Comments(0)

一年経過

あの日から一年が経過。


これから先、誰もが"考える"ことをやめたらダメになってしまう。。と、切実に思う。

今の世の中悩んでいる人が本当に多い。
しかし、悩むことと考えることは根本的に、絶対的に、違う。

分からないことや不安なことに対して悩むということがまずおかしい。そもそもわからないことをどうやったら悩めるのか。わからないからこそ、考えるべきである。


悩んでいるならば、その悩まれている"何か"に関して考えられなければいけない。つまり厳しいようだが、悩んでいる人は実際のところ考えていないのである。

悩みは悩みのままで形を変えず、不安を増殖させるだけでそのサイクルから抜け出すことはできない。考えるという作業は、"想像力"を要するので難しいけれど、自らが選んだ結論に責任が持つことができる。つまり、より強く、より自由になれる。


考えることは決して正解をみつける方法ではない。考えることとは、知るために疑い、情けや甘えを許さない、ある意味とても残酷な行為だ。

でも、もう起きてしまったことは仕方がない。

生きていく=考える  しかない。





# by makaleo | 2012-03-13 16:44 | 考察 | Comments(0)

記憶
締め切り終わって、一段落。

最近、あるSNSで初めて高校時代の友人とつながった。懐かしいような、ちょっとめんどーなような、三十路過ぎの女らしい感想をまずは持ったわけだが、忘れていた心の奥の"過去部屋"の一つがポッと提灯で照らされていたようにあの頃の記憶がジワジワ蘇ってきた。不思議だねー、意識レベルで考えていなくても、あるきっかけで過去の記憶は呼び起こすことができる。そして、常に「今」の状態でその記憶を吟味するので毎回感じ方は違う。あの時わからなかったことが、今ならわかる、というような記憶から実体験として学ぶこともある。記憶ってすげー、と今更ながら感心するが、記憶が正確とは全く限らず無意識に自分で脚色している可能性も高い。過去が美化されたりするのはよくある話。

ま、とにもかくにも、彼女がみつけてくれたおかげでその周りの友人や先生、高校時代に感じていたことを芋づる式にズルズル思い出し始めた。それを綴ったら長〜くなるのでまた今度。。「あの子どうしているだろう?」数えあげたらきりがないないほどの顔が頭に浮かんだ。

そして、この世の中に私の存在を記憶の隅っこにでも認識している人はどのくらいいるんだろーと考えたら、ちょっと遠い目になった。。

本日も宿題山盛りなので、合間の逃避として旧友へ思いを馳せながらの作業とするかな。うむ。
# by makaleo | 2012-02-01 18:59 | つぶやき | Comments(0)

ないものねだり

まだ冬休み中。しかも今週はお仕事もお休み。糸が切れた凧のように、とてもFREE。大人になるといつの間にか何かしらの"囚われの身"になっている。好きでやっているはずなのに、、ね。

でもまぁ、こういうぽっかり穴のあいたような時間はたまにあるからいいのであって、ずっと続くといやになるもの。ほんとわがままで無いものねだり。

# by makaleo | 2012-01-05 16:48 | つぶやき | Comments(0)

大学4年生

明日から大学4年目の新学期が始まる。今年は今まで以上に自分と向き合う必要のある年になりそうだ、というかすでになっている。自分が何をしたいのか、何を描きたいのか、何を伝えたいのか。はっきり言ってしまえば、何をしたいという強い希望もなく、何を描きたいという絶対的なものがあるわけでもなく、何を伝えたいかなんていわれても何かを伝えようとして描いていないので、絵について何かを聞かれたらほとんど語らないし、語ることに意味を見いだしていない。自分がどんな風に信念をもって生きていようが、常に自分の"イメージ"というのは誰かの解釈によって作り上げられるわけで、同じく自分の絵について語ったところで周りが私を理解するとは到底思えない。だから作品について話すことは薄っぺらい"分かりやすさ"の追求にしかならないと思っている。でも時々こんな質問をされる。

なぜこのモチーフを選んだのか?

なぜこの色なのか?

なぜ絵を描くのか?


ほとんど場合人に聞かれたら、答えは決まって I don't know...

本当は理由がある。ただ説明する価値があるとは思わないだけ。また、正直理解されてたまるかと、いうのもある。勝手な想像を存分にしてもらうためには、この方がお互いのためではないだろうか。これも私のワガママな解釈だけど、、、これでいいのだ。


# by makaleo | 2011-09-06 15:07 | アート | Comments(0)

どうにでもなれ
最後にコートを買ったのは何年前だろう。覚えていないくらいだから、ここ2〜3年はあるものを何となく来ていたんだろうな。。こんな私だが昔は洋服大好きっ子で、ある時期は狂ったように洋服を買い漁っていた。しかも好きだったのは尖ったデザインのUKブランドもんだったので、二十歳で既に借金数十万円を抱えていた。。社会人になりしっかり毎月返済してたけど、ある時からぱったりそういう服を欲さなくなり、カジュアルに〜ナチュラルに〜ライフスタイル全体が自然な方面に流れて行った。我ながら極端な方向転換だと思ったが、気張っていたから緩〜くなったというのは納得できる。若い頃って、自分の体を洋服で着飾ったり、針をさすなどして破壊的な自己顕示に走りやすい傾向があるけど、単純に欲しいものは欲しいというワガママで純粋な気持ちに正直だったとも思う。好きな人に対してもそうだったな。ふむ。

多感な思春期には、誰に否定されてもどうでもいいと思っていた反面、共感できる人に出会いたいという矛盾した気持ちを持ち合わせていたから、洋服は人を選ぶ判断基準になった。でも実際そういう出会い方をした人とは薄っぺらいつながりしか持てなかったけど。かわいー、かっこいー、みんないうし、いわれるし。でも服脱げばみんなと同じもんがついてるタダの人。自分も然り。

とにかく、人間社会ではあたりまえの「服を着ること」を昔とは違った風に日々繰り返しているこの頃。気にしているのはデザインよりサイジングとカラー。値段はその後。。。だから時々痛い出費がある。。。

先日、SOHOの画材屋にキャンバスの額を買いに出かけた。ご存知のようにSOHOにはごまんとハイエンドのブランドSHOPが軒を並べている。いつもなら完全素通りなのに、ビシッ!とひとつのダウンジャケットに目がとまった。サイズぴったりかも?なんて思って試着なんてしてみたら、あら、私の人生史上最高のフィット感。が、「これください」って普通に店員さんに伝えてクレジットカード渡したら、ゼロいっこ間違った?っていう値段だった。。。おーーのーーーー。。。

返す?でもこのサイズ感はもう出会えないかもよ?でもさ、学費払わないとだし。。貯金使えばいいじゃない?でも〜。。。めんどくさいなお前、じゃあ仕事増やせば?と、自分の中のふたりが相談?中。。で、もう半分やけくそでお店を後にした。あ〜あ〜突然ファッション貧乏になっちまった。。私のお財布の中身に反して、外はまだ夏の陽射し。いろんな意味でそうめんの日々が続くだろう。でもなんだ?この爽快感にも似た感情は。そういえば、高い買い物の「どうにでもなれ感」は癖になるって中村うさぎが言ってたっけ(笑)。もうやらないけど。。いや、やれないけど。。。

# by makaleo | 2011-09-03 14:48 | ニューヨーク | Comments(0)

ハリケーンアイリーン

いくよ〜くるよ〜!と騒がれていたわりにには、いつの間にか来ていつの間にか去っていった親戚のおばちゃんみたいなハリーケーンだったな。スタッテンアイランドは浸水被害も多かったみたいだけど、予想を下回った被害でまぁひとまず安心といったところ。地下鉄も全面閉鎖で喧噪の街NYが閑散としてて不思議だったわ。スーパーの棚も食料品買いだめの客でガラガラだったし。特に構えて準備していたワケでもないので、余計に「なんだったんだあの騒ぎようは…」とも思う。というわけで、アイリーンおばちゃんが来ようと来なかろうと何も変わらなかった私の日常は一応そのまんま続く、、らしい。



# by makaleo | 2011-08-29 14:27 | ニューヨーク | Comments(0)

描く
私にとって絵を描くことは仕事でもなければ趣味でもありません。私にとって絵を描くという作業はとてつもなく辛いものです。今まで楽しいと思ったことは一度もありません。でも描きます。そしてこれからも描き続けると思います。

好きにしろ!と突っ込みたくなるエントリーでした(笑)。

# by makaleo | 2011-08-24 18:32 | つぶやき | Comments(0)

ベテラン引退

ふーん。引退しなければいけないほどのことなんだ?昔女性スタッフ殴った時は辞めなかったのにね? まぁ、国家公務員ならまだしも、芸能人なんだから、やくざさんと交友関係があるってだけで引退しなくても〜なんて思ったりもする。事務所がバラす前にバレることを恐れたのと、世論が人のクビをとばせる時代だから以前より敏感になっているのか。影響力のあるベテラン芸能人だからこその責任問題か。それとも、引き出されたらまずいネタ(不祥事)が裏に潜んでいて、その先手打っての引退か。。。どうでもいいけど、また一悶着ありそう。

最近芸能界は失言やら不祥事やらで騒がしい。失言とは思えない発言も、大多数に指示されなければ失言とみなされる。数が多い方が正しいってわけでもないのに。いずれにしても、誰もがいいたいことを世界に向けて発信できる時代だから、芸能人も発言と行動には慎重にならざるを得ない。だが芸能人だって人間、本心ならいいじゃないの、いい放ってしまえ〜!とも思う。それを他人にどう捉えられるかは未知数だけど、それは芸能界じゃなくても日常茶飯事で起きていること。ちゃんと考えた意見で、自分で責任取れるなら好きにすれば?と思うけど。社会的地位を確立している人物の失言と呼ばれる発言のジャッジ、受け止める方にもだいぶ責任あると思うわ。。  

島田さん、そのやくざさんと数十年来の仲っていってるけど、幼少からの友達がやくざになったのか、やくざだから友達になったのかでまた違うような。私の友達がやくざになってもきっと友達のまんまだし、やくざだから友達になるのとはワケが違う。ドラマ・映画の世界なら任侠ファンタジーが人気だけど、やっぱり現実じゃNGなのね。人ってやはりよくわからないことが怖いもの。放射線も然り。。芸能人っていろいろ大変。

ちなみに私は島田さんのことはもちろん、番組さえよく知らないが、彼にあまりいい印象は抱いていない。なんとなく人を区別/差別しているように映るし、妙に胡散臭い感じ。私のそういう態度って表に出るものだから、もし私が彼と仕事なんかする機会があったら、絶対殴られてる気がする(笑)。。



# by makaleo | 2011-08-24 16:39 | つぶやき | Comments(0)

現実
アートも音楽も映画もファッションも現実逃避のツールだが、創る側、表現者にしてみれば超現実の世界。現実的すぎるゆえに現実味に欠けたものを創ることができる。そもそも現実というものに客観性はない。みんなの現実が違うのに、あたかも現実がずっとそこにある様に思う矛盾。自分なくして現実なんてない、非現実もない。現実が先にあって自分があるわけではない。世界は自分自身。

そう思うと、夢も妄想も全て現実と呼べる。実際、私がそう思ったらそれが現実として認識される。それを分かっていると、他人がスタンダードだと勘違いしている現実に合わせるのは非常にバカバカしいのである。

学校が始まると思うと、気が引き締る気持ち(それじゃなくても締めろって話だが)。大学では実技だけではなく、文学、哲学、美術史、数学、物理。。勉強も盛りだくさん。これが実技以上に大変であり、また楽しい。学ぶことによって世界が広がるという言い回しがあるが、自分が広がるという方が正しい。変えられるのはいつも自分。世界ではないよ。二度書いちゃうけど、世界は自分自身。



# by makaleo | 2011-08-23 14:36 | 考察 | Comments(0)

まどかちゃん


私の地元は桃の名産地。今が一番甘くて食べごろの時期。一体今年の桃はどうなっているのだろう。私の好きな"まどかちゃん"(桃の品種)は大丈夫なのだろうか?でも、まどかちゃんの放射能被害の心配をしているのではない。 彼女をとりまく周りの心配だ。今年は、まどかちゃんを危険物扱いする人たちもいるらしい。その経緯は理解できるけど。どれどれ、まどかちゃんに思いを馳せながら、ちょっと真面目なことを書こうかな。

さて、厳しい検査を通り抜けた桃が仮に放射線量が基準値以下だとしても、消費者は目に見えないからこそ"リスク"を恐れている。痛いこと、不幸なことなどなど、リスクできる限り排除したいと考えるのが人間の性。福島の桃がなくても他県の桃がある。わざわざ危ない橋を渡ることはしないと考えるのが自然だ。しかし、ここにきて思うのはリスク回避が生み出す新たなリスクの悪循環と矛盾。資本主義の自由市場で購買の判断を下すのは消費者だ。そして今、消費者たちが最終的には自分の首を絞めるであろう行動に出ていると、私は感じる。

「放射線リスクが怖いので福島産の桃は買わない」という、数ある選択肢の中から不幸の要素を排除することによって得る幸福を、誰にも責める権利はない。しかし、リバタリアニズム的な個人の自由(幸福)を尊重をする理念は、完全な自由が存在する場合にのみ有効だと思うのだが、私はそんな自由なんてこの社会に"存在しない"と断言する。政府の干渉やマスコミ意図の介入が当然の社会に、完全な自由市場はない。たったひとつの桃を買う選択に、どれだけの雑音がその選択を左右しているかは想像に易い。つまり、福島産の桃を買うか買わないで迷った時に、なぜ買わないのか、なぜ買うのか、自分でしっかり考えないと、結果としてあの変なおじさん集団(偉いらしい)や、音の出る箱の思惑にハマってしまうような気がしている。私はこっちのリスクの方が桃より断然恐ろしいと思うけど。ただ怖がるのもダメ。ただ怖がらないのもダメ。みんなそろそろ分かってきてると思うけど、実際どうなんだろぅか。

放射線の健康被害のリスク回避に伴う避難、福島県産農作物の買い控え、原発反対、政府と東電批判などに対して、もし自分に意見があるならさらに考えて欲しい。なぜ数ある選択肢の中からその選択を選んだのか。


癌のリスクが怖い?あら、あなたは怖くない?じゃあ、なぜ怖いか、怖くないかそこから考えてみることからだと思う。ただ人やマスコミにつられてむやみに恐れたり、ただ何となく開き直るのも自分で納得するまで考えるというのとは違うと思うから。極論、リスクなんてリスクって呼ぶからリスクなだけで、言い方を変えればただの思い込みともいえる。リスクには原因があって結果があるとほとんど人が思っているのかもしれなが、原因だって何かしらの結果であるわけだし、言ってみれば特定不可能な無限のループなのだ。原因と結果がはっきり区別できるように語られている世の中だが、それってナンセンスなのでは。科学は覆されるからこそ科学の進歩なんていうんだし、そこに真理はない。思い込みだけで生きるのは、あまりに骨の折れる世の中だと思うのだが、どうだろう。

よく分からないからこそ警戒したり、諦めたりするのだろうけど、それじゃいつまで経ってもそのまんま、といいたい。右か左か、下か上か、黒か白か、他人と意見が食い違ってもいいじゃない、ちゃんと自分が考えた上での選択だったら。それができないことで発生するリスクは、今起きていること以上に大きなリスクだと私は考えます。

最後に。。私は食べるよ、まどかちゃん 2011。

# by makaleo | 2011-08-20 14:56 | 考察 | Comments(0)

秋の気配

風が涼しくてニューヨークもすっかり秋の気配です。風の匂いで季節を感じる。いいですね。体調も崩しやすい季節の変わり目、気を引き締めていきましょう。(写真はホノルルの夜景です)

# by makaleo | 2011-08-17 17:31 | 旅行 | Comments(0)

夏の終わり


夏らしい一枚をアップしました。夏ももうすぐ終わりかー、ってことは、夏休みももうすぐ終了。。。いや、学校好きだよ、イヤじゃないよ。でも、構えちゃう。だって大学、、冗談抜きで大変なんです。。しかも来学期は大学一厳しくて恐ろしいという先生のクラスを取るので、心の準備が必要なんです。「才能ないからあきらめて自殺しろ」とか「このクズ」とか「くたばっちまえ」とか平気でいうらしいし、やる気のない絵をみせた日には目の前でビリビリに破り捨てるという噂。それでも彼がクビにならずに圧倒的人気なのは、きっとその行為が激しい愛情の裏返しだと、みんなわかっているからでしょう。。どんな授業になるのか楽しみだけど、いやー、構えるわ。。

人間が一番されて辛いこと、それは"無視"だそうです。まるで存在しないかのように扱われることほど悲しいことはないと思います。そういう意味では、彼は生徒の存在を激しく否定しますが、それは逆に肯定していることになるわけで、甘ったれた根性を奮い立たせてくれる手段と捉えることもできます。生徒に、厳密にいえば生徒の親に訴えられたことも数多くある彼ですが、そんなのおかまいなしなところには好感が持てます。ぶっ飛んでても、ぶれてなければ私は人間として好きになれると思います。

どーなることやら。。9月が楽しみだ。。。
# by makaleo | 2011-08-15 16:26 | つぶやき | Comments(0)

あなたは何キャラ?

ゆるキャラ、Mキャラ、天然キャラ…最近のキャラ多様化が起こす人間の定型化現象。無意識に、強制的に、自分を型に当てはめることにより起こる世界のアンバランス。
# by makaleo | 2011-08-15 16:10 | 考察 | Comments(0)

SNSについて考える
夏休みも残すところあと1カ月未満。やはり余裕があるといろんなとこに書いちゃうね。とはいえ、同じようなことを言葉じりを変えて違うリーダー層(友人らか)に向けて書いてるだけだけど。

最近思うSNSの存在。。自分もいろんなとこにアカウント持ってるけど、やっぱ私は長文書くのが好きだからブログが一番ツールとしては合ってるかな。私の勝手な偏見で各SNSをカテゴライズ&分析してみたいと思います。

mixi:
日本語しかできないし、足跡確認(少し機能変わったけど)とかあって結構閉鎖的なイメージ。でも昔の友人とか同級生とか探しやすいし、知っている人で固めやすいから妙な安心感がある。私もここに書くときはけっこう大胆で強引(笑)。コミュニティーもいろいろあるけど、活発なものは一部なような。やはり顔を知っている人同士で固めたい人向けかな。ニュースも出てくるし、ここでけっこう日本の情報仕入れてます。あと、好きな芸能人情報なんかもね!最近facebook的機能が増えてきたけど、その辺はどうなのかなぁ〜。もうmixiだけという時代ではなさそう。

Twitter:
文字制限があるがゆえに、分かりやすいけど誤解もされやすいという両極な面があるね。そんなつもりでいったんじゃないのにっていうことも、フォロワーが勝手に解釈して拡散したりするでしょ?格言とか俳句とかそういうのが抽象的な文が得意な人向きか?ちなみに私はアカウント持ってるし、俳句格言好きだけど、最近は完全放置。なんかさ、あのフォローっていうのがなんか気にくわないんだよね。あなたについていきますみたいでよ(笑)。

facebook:
言語対応もコミュニケーション機能も満載で、いまや世界のSNS。私的にとってはmixiとツイッターの中間的な位置づけ。ブログ的なこともできるし、つぶやきもok。ただ、本名で基本顔出しのfacebookは日本人的にはあんまりウケないのかも?(出さなくてももちろんokですが)あと慣れないと機能が分かりにくいかな。しかし、なんといっても圧倒的な登録人数を誇るSNSなので、ビジネス的に最適なツールだと思います。世界を相手に出来るしね。実際、いろんな企業がマーケティングに活用してるし。私はここに英語と日本語ごっちゃで長文も書くしいろいろアップしてるけど、あんまり活用しきってない感がある。気軽に世界各国のいろんな人と"友達"になれるから、そういう意味では潜在力の高いSNSです。

my space:
アカウントもってない。これはもう時代遅れSNSだね。なんかインターフェイスはダサイし、全体的に汚いイメージ。イメージというのは怖いねぇ。


blog:
読みたい人が勝手に読めるし、編集できるから推敲もできるし、けっこう好き放題長文書いちゃってます。無料だからなのか、エロ広告がコメントに入ったりもするけどそれもまたよし。いろいろ考えてるなぁ〜と思って、必ず一読してから消します。仕事でブログ使う場合はきっと有料の方がいいだろうね。


頼まれてもいないのに、こんなことを分析している私は暇なのか?まぁ、そうともいう。この時間を他のことに費やせるけど、こうしてSNSについて書きたくなったから、まぁいいじゃないか(自分にいいきかせ)。んで結構いろいろアカウント持ってるなぁーと気づく。いっそ、いっこにまとめる?それめんどーね。つまり友達も移動させなくちゃいけないんでしょ?写真とか日記とかも。。やだ、それすごくめんどー、めんどー。このままキープで。。それぞれにパラパラ書いていきます。

ふと思ったんだけど、私が今日交通事故で死んでもfacebookの私は生き続けるの?

はい!早速調べてみたらfacebookには"アカウント墓碑化申請"っていうのがあるらしい。へぇ〜、デジタルの墓碑かぁ!新しい!前もってお願いしておきますが、私が死んだら誰か申請してねん。



# by makaleo | 2011-08-11 17:23 | 考察 | Comments(1)

細胞は別人君

最近、私のブログにめっきり登場していないダンナ君ですが、変わらずチャリンコ命で元気です。ようやく私という扱いにくい生き物にもなれたようで、最近は言葉少なめに会話も、んーとか、あーとかで成り立ちます。

以前彼はよく「出会った頃とは違う。今の君は別人だ」などと、昔ドラマで聞いたような意味不明な台詞を放っていました。「人間変わらないと思っている君はおかしい。君は私ではなく、君が作り上げた私という妄想を愛しているだけなのだ」と私もドラマのヒロインばりに返してましたが、最近はそんなこともいわれなくなったので、諦められたのか彼も変わったのか、どちらにしろ私にはいいことです。

恋愛ねー、結婚ねー、夫婦ねー、子どもねー。人と人が関わりあうわけだから、それぞれいろんな形があるでしょう。だからなんだってわけじゃないですが、最近自分の細胞が昔とは全く別もの(実際に細胞は全て入れ替わってますが)ということに妙に納得がいきます。それで同一人物なのか別人なのか微妙なダンナ君(細胞レベルは別人)とまだ一緒にいるってことは、今の自分もその別人の彼を嫌いじゃないってことでしょうね。まー、ある意味不思議。

最近、大学の後輩(20代前半)に結婚について質問されたので、こんなこと綴ってみました。彼女は結婚して子どもも欲しいそう。なんで?と聞いてみたけどまだそこまで考えてないようでした。なぜか?を考え出しちゃったら、パンドラの箱から思いがけないものが永遠にゾロゾロ出てくる課題だからねー。でも私はそのゾロゾロがたまらない。パンドラの箱は空けてなんぼなんです。


# by makaleo | 2011-08-11 16:38 | 考察 | Comments(0)

ワイハでどよーん
先々週、あるプロジェクトに携わりハワイのワイキキに行ってきました。

このご時世だからかワイキキと聞くと歯が浮く気持ちになりますが、まぁどこから?というくらいバブリーな観光客の方々でごった返しておりました。初日は観光客気分で楽しく過ごせたのですが、もう次の日からドヨーン…です。なんなんでしょう、ワイキキのノリといいますか人と雰囲気がこれでもかーーと、私を重くさせるのです。

もうこの際だからはっきりいいます。ワイキキの同じものに群がる日本人観光客と、物売り現地人のフェイク笑顔の不自然さにはかーなり、辟易しました。それから、日本人女性(観光客only)をターゲットにした変なワイキキのルーザー男たちにも。(仕事じゃなきゃ、行ってないよこのエリア。。ワイキキ好きな方、ごめんなさい)ご存知のように、ワイキキでは日本人観光客が とてもありがたがら れています。が、よくよくみていると、現地の物売りの笑顔には小 馬鹿にした態度が見え隠れしています。日本人客側も作り笑顔です が、お金にものをいわせてどこか現地人を小馬鹿にしています 。観光地という特性上、活発な経済流通はあるけど、それだけかと。。搾取する側とされる側に共通しているのは傲慢さとおごり。お互い利益回収できているのだからいいのかもしれないけど、うーん。。

今回私は何かの間違い?で飛行機はファーストクラス、ホテルはモアナというなぜかリッチな旅となったわけですが、価値のわからないというか、自分が価値を見いださないものがいかに無価値なのかとうことを改めて実感したわけです。ハワイはやっぱ自然とアロハだよ。海!山!風!そしてフェイクじゃない人々!


最終的に仕事を終えた後、美しいエメラルドグリーンの海を背にして山にこもってしまいました(熱帯雨林が大好物)。いろいろ考えるところはありましたが、なんだかんだいっても自然に囲まれて飲むビールは最高だとしみじみ思いました。こうやってアンバランスなものに敏感になるのも、いやになるほど浮彫りになる自分の好みも、いってみれば旅の醍醐味です。


もう、家帰る!という最終日に、不思議な光景を目にしました。ホテルの前で夫婦と思われるカップルが口論をしており、ダンナ様が奥様の手を強めに振り払い奥様がよろけて転んだ瞬間、セキュリティーらしきお兄さんがダンナ様を連れて行ってしまいました。「えっ連行?DVだと思われたのか!?」すぐそばにいたホテルのスタッフにどうしたの?と聞いたら、日本人カップルでこういうケース多いのよ、とのこと。最悪裁判沙汰にもなるそうです。。そう、アメリカは何でも裁判です。交通違反の信号無視なんかでもとりあえず裁判所にいかなければなりません。だとして仮に裁判沙汰になったら。。えーーー、旅行なのにとてつもなくめんどくせーーー。くれぐれも夫婦喧嘩は部屋の中で。。あ、部屋の中でも喧嘩して奥さんがうっかり転んで血出しちゃったらダメそう。。

その後あのカップルがどうなったのか、心配はしてませんが気になります。でも、あのくらいで連れていくのもどうかと思うけど、、、まぁ、アメリカですから。。

私のひねくれ推察ではこうなる:英語できないのをいいことに無理矢理裁判沙汰にして、日本人弁護士を雇いお金をぼったくる。。(観光客向けフリーペーパーに結構たくさん日本人弁護士の広告出てたが、こういう時のため?)滞在日数も増えるしお金がさらにいろんなとこに落ちる、落ちる。。あと、幼児虐待に思われる行動にも気をつけましょう。。しつけでも公の場で叩いてはダメです。


お金が廻る場所というのは、それなりにしくみがあるものです。やっぱ、自分の山に帰ろうっと。ニューヨークは都会だけど、コンクリートジャングルだから気配を消せるので自分に合っています。やっぱ、どこに住んでいようが、自分の好きなものしかない「家」が一番だなぁーー。


# by makaleo | 2011-08-11 16:14 | 旅行 | Comments(1)

都合のよい解釈

今さらだけど、好きとか嫌いとか、美しいとか醜いとか、良いとか悪いとか、全ての解釈のモチベーションは自分の欲求。つまり自分に都合のよい解釈しか存在しないってこと。でも、それじゃみんな不安よね。だから、解釈を一つにまとめてくれる宗教とかグループとかが成り立つのよ。ま、今さらなんだけど。

震災の後いろんな解釈が飛び交ってるけど、その誰かの勝手な解釈をさらに解釈するのが自分。みんな自分の都合のいいように解釈していることに気づいてるのか?と時々心配になる。科学的根拠だって覆されるし、それだって解釈の賜物なんだし。それで無駄に傷つけ合ったり、気持ちすり減らしたりして。。なんだかなぁ。余計なお世話だけど、これが人々の都合のいい解釈に対する私の都合のいい解釈。

# by makaleo | 2011-08-11 15:15 | 考察 | Comments(0)

夏です

現在、夏休みまっただ中。三十路で夏休みを経験できるのはわりと贅沢な気もする。で、真夏特有の倦怠感と、高揚感が入り交じるこの時期に、私は一体何をしているかというと…せっけんは暑くて固まりにくいので、この気温を利用して自家製天然酵母のパンを焼いたり、酵素ドリンクなるものを作って発酵過程を楽しんでいたりする。

それと、私によくしてくれている教授さんが、ドローイングと油絵のクラスに好きに来てもいいよと言ってくれたので、大学までぷらっとチャリンコででかけたり。

それ以外はわりと時間があるような気がする。そう、時間とはあるような気がすると、ますます暇な気分になったり、ないと思うとますます忙しい気になったりする。が、しかし、時間というものはそもそも実体のないただのコンセプトであるわけで、実際に時計をみなければ1時間が数時間に感じたりするのもありえる話。

だから、「時間がない、ある」というのは、みんな普通に使うけれど、実はすごく妙な言い回しだなぁーとしみじみ思ったり。都合がいいからと使用されていつ言葉も単位もよくよく考えれば意味不明というか、意味なんてない。だから、疑問を持つに越した事はない。

小学生時代のある日、無邪気に道で言葉を何回もリピートしてたら、突然その言葉の意味がわからなくなって、ただの音の組み合わせにしか感じられなくなった。例えば、ネコと何回も繰り返していたら、ネコはただの「 ne・ko(音)」 で、あのみんなが想像する猫は思い浮かばなくなったのだ。

「ネコってなぁに?」と聞いて「猫は猫だ!」といわれても、猫のイメージを共有していなければ、「 ne・ko(音)」 はあの「猫」にはならない。つまり、私はあの動物の存在を知っていたが、それがネコと呼ばれていることを一瞬忘れたというか、切り離して考えたのだと思う。でもそれを考えている間にも、いろんな言葉を頭の中で使ってネコについて考えていた。


「なぜne・ko(音)は猫なのだ?」


でもそれは言葉を使って言葉にはならないものを考えるという矛盾でもある。じゃあ、実際言葉なしに自分で思考することは可能なのだろうか?今のところ、ジカンガアルワタシは考えてみたが、難しいとは思うけど、不可能ではないのではない気もする。言葉があれば距離が離れていても意味を共有したり便利なことが多いが、自分が目で見て感じた感情なんかは、「悲しい、嬉しい」という言葉がなくても感じる。でも人はそういう感情を伝えたいし、共有したいし、理由を考えたいもの。私は幼い頃の記憶が言葉を覚える少し前からあるけれど、感情に加えモヤモヤ何かを思っていた気がする。その感情に意味を見いだし、思考するために私も言葉を覚えたのかもしれないけど、それで言葉に縛られたら本末転倒だね。正直、そんな人達が世の中に多い気がする今日この頃。

今後、時間ある?と聞かれたら、「時間というものはない」と答えちゃうかもなー。私、めんどくさい三十路だわ(笑)。






# by makaleo | 2011-07-17 07:56 | つぶやき | Comments(0)

フクシマ
故郷の状況を、震災以来ニュースやら友人・家族伝いに追ってきたつもりだが、ここにきて怒りの感情が爆発寸前。一体、日本という国はどこに向かうつもりなのか? いや、日本政府はどこに向かっているか理解する気もないと言った方が正しいか。ひとつひとつ文句をあげたらきりがないけれど、 日本のリーダーであるべき人間がリーダーになるべきではなかったという事実には落胆を隠せない。。結果、国民はこの不安な状況の中で明確な指示がないがために、不確かな個人レベルの意思決定に委ねられる事柄が多くなる。そしてますます不安は増幅する一方。。

混乱期の歴史の中でも人間は極度の不安に陥ると、すがる気持ちで何か信じられるものを求め、常時には考えられない行動をとることもある。それが、心配のひとつでもあるが、今はそれがよい方向に転じてくれればと願うことしかできない。

「大丈夫」とも「危険」とも断言できない状況が複雑に絡み合っている福島。私の恩師のブログを読んで、ますます切ない気持ちになった。。


# by makaleo | 2011-06-28 13:06 | つぶやき | Comments(1)

歯の治療で思う。

「この歯の詰め物はあと 1年くらい持つけど、今替えた方が歯が長持ちするよ」

先日訪れた歯医者で詰め物の入れ替えを勧められた。が、結構ですと断った。なんというか、あやふやな未来へのその方がよかろう的な話は、大抵断る。今やっておけば、といった考えがなんかいやしくて嫌いなのだ。その詰め物がダメになった時、その時改めて考えます、と歯医者を去った。

これで、もしその歯が虫歯になったりしたら、後で私は後悔するのだろうか?

いや、絶対しない。

後悔というのは、一瞬一瞬の意思決定ができていない輩が、過去という実体のないものを責める無意味な行為だから。そして、そういう人間は、また実体のない未来を心配してやまない。

もし、私の歯が虫歯になったら? その時は、それ相応の治療なり、何なりしましょ。私のプライオリティーは歯でもないし、自分の体でもないんで。
# by makaleo | 2011-03-03 16:09 | つぶやき | Comments(0)

人間嫌い

30年以上生きてきて、いまだにこの気がある。ある時期が来るとパタリと人との関係を断ちたくなる。そして出来る限り断つ。人間一人では生きて行けないと誰かはいう。社会生活を送る上でそれはもっとものように聞こえるが、しかし実際の生活の上ではどうなのだろう。友達がいないと、恋人がいないと、家族がいないと、生きて行けないのだろうか?いや、全然生きていける。逆にその関係性ゆえに、したくないことをする自分がいたり、不要な孤独感に襲われるような弱さが芽生えるのではないか。こんな私にも友達と呼べる人がいる。恩師と呼べる人も、家族と呼べる人もいる。が、私は本来一人でいるのが平気なたちだし、したくないことをしないですむ関係にある友人たちに恵まれているが、やはり人と関わる以上時々無理をしていることに気づく。そして自己嫌悪に陥る。

何もかもいやになるのにお腹は空く。油絵の筆の洗い忘れに気づいてはせかせか洗う。他人を小馬鹿にしながら自分の小ささに嫌気がさして自分に笑えさえする。はっきりいって自意識過剰なんだな。でもそんな自分を完全に嫌いになれない自分もいる。だからまだ生きてるわけで。

だけど、突然こんなつぶやきをするのはこの本を読んだからかもなぁ。

地下室の手記 by Dostoevsky
http://homepage3.nifty.com/coderachi/doct/ntug.html
# by makaleo | 2011-02-03 17:36 | つぶやき | Comments(0)

パスタ

最近パスタしか食っていない。

理由1:
グリーンマーケットで仕入れた野菜、特に真っ赤なトマトを使ったレシピが特に思い浮かばないから。新鮮なトマトで手の込んだこともしたくないし、やっぱり単純に面倒くさい。ニンニクの香りしっかりだして、庭のバジルかイタリアンパセリと和えちゃえば、シンプルだけどそれだけですごくウマい。

理由2:
日本の元彼にもらった"PASTA"というレシピ本を引っ越しの際にみつけたから。シンプルだけど技が利いてるイタリアンを作るための秘技が詳しく書いてあって興味深い。ほんの少しの違いで味が変わるっていうのは、当たり前のようでいて、新鮮な驚きでもあるので楽しい。「たったこれだけで(絶句)お〜!」みたいな。。。

理由3:
イタリア人の友人にアンチョビとオリーブをもらったから。これで、パスタの幅が広がった気がする。こいつらそのまま食べるとすごくしょっぱい。。


ふと気づいた。
どうでもいいな、、、この日記。。。ま、こんな他愛もないことをまとめてみたくなる時もあるょ。。。

# by makaleo | 2010-08-31 17:44 | | Comments(0)

引っ越し

私のプラン通り、理想的な場所に引っ越すことができた。今度の住まいは以前のアパートより広くて、学校にも近い。家探し&引っ越しめんどくせー。。。と思ってたけど、すんなり気に入った場所がみつかったのでよかった。ところで今回の引っ越しで再認識したことがある。それは私とダンナのパートナーシップのよさ。例えば、新居を探すまでの過程を振り返ってみると。。。

私:エリア&条件を提案→ダンナ:リサーチ→私:チェック&再提案→ダンナ:再リサーチ→私:最終的に絞る→ふたりで下見→ダンナ:迷う→私:決断→んで、アパート決定。

小さなくだらないことでケンカはするけど、何かを決める時はほとんどケンカにならない私たち。いつの間にか自然に役割が分かれているし、決断する人間がいると何かとまとまるのも早いというもの。アパート探しから荷解きまで私がなんか班長みたいだった。。。ダンナもダンナできちんといろんなアポとって動いて、副班長というか秘書みたいだった。。。ま、ふたりだけの班なんだけど。

全くアパートを探す条件には入ってなかったけど、今度の家にはおまけで屋上と裏庭がある。ここでハーブ育てたり、スケッチしたり、ご飯食べたり、お茶したり、縄跳びしたりする。ダンナは外より中がお好みなので、ここは完全に私のスペース。

ほんとダンナとは趣味も違えば、好みも、生活習慣も、性格も違う。でも何となくかみ合ってるところが、我ながら面白いような気もする。他人からみると、かみ合ってるようには全く見えないらしいけど(謎)。
# by makaleo | 2010-08-31 17:21 | つぶやき | Comments(1)

やめました。

最近かなりひとり言化している私のブログですが、一応読まれることを前提には書いています。でも時々これは書かない方がいいのか?いや書いてもいいだろう、とか迷うこともあって正直面倒なこともあります(笑)。人とかかわる日常生活にもこの思考作業はつきまとうので、自分がしっかりしていないと疲れてしまいます。若い頃は弱さゆえに相手に合わせて自分を変えるようなこともしてましたが、今ではもう誰と会っても同じ顔、同じ態度。

その同じ態度の一環として、数年前に握手をやめました。
初対面の人に"I don't shake hands." というと、ほとんどの人はちょっと驚いて構えます。笑顔も握手もアニマル的視点からみると相手が敵ではないことの確認、つまり「何かしたら、ただじゃすまないよ」というサインを前もって送っていると聞いたことがあります。つまり私は握手を拒否したことで、要注意人物になるという感じでしょうか。ここで相手は私に対していろいろな勝手な妄想を始めます。宗教上か?バイ菌が怖いのか?私が嫌いなのか?一体何なんだ?と、とにかく不安になるようです。そこから話が続く人は稀です。みんなササーッといなくなるか、ずっとこっちを警戒しながら当たり障りのない話しかしません。滅多にいませんが、話が深く続く人が時々いて、その人たちとは疎遠にならずに今だに友達です。

握手という安全フィルターを外してみえた人間の弱さ。たとえ握手しても相手から攻撃されることなんてたくさんあるのに、なんだか皮肉です。



# by makaleo | 2010-07-12 18:57 | つぶやき | Comments(0)


昔は全然飲めなかったのに、今では酔うことができるくらいには飲めるようになった。しかし昨日はちょっと飲み過ぎた。。。大学の友人宅で朝の7時過ぎまで討論会。議題は「時間の定義」について。このことについては今度ゆっくり書こうと思うけど、人とのコミュニーケションの難しさをまた改めて実感。私がなぜそう思うかではなく、私抜きでただ"そうである"ということを話そうとしていても、相手には「私が思っている」ことになってしまうことが多い。弁が立たなくてもいいから、真実を真実として伝えられなくてはいけないと思う。

最近ニューヨークは毎日30℃超えの猛暑。
明日は期末テストなのに、この暑さと二日酔いと寝不足で勉強に全く身が入らない。。。もうこんな時は寝るしかないか。。。

# by makaleo | 2010-07-06 17:30 | つぶやき | Comments(3)

夏だ

日本の桃が食べたい。切実に。
# by makaleo | 2010-07-04 19:20 | つぶやき | Comments(3)
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ニューヨークに暮らすGデザイナー&美大生。日々の悶々とした考察について綴っています。※ブログの写真や記事の無断転載お断り

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